ギリギリだった南北戦争。歴史でわかる、トランプとプーチンの仲がいい理由 | イエ&ライフ

ギリギリだった南北戦争。歴史でわかる、トランプとプーチンの仲がいい理由

youtube原稿

今回の動画は、「ギリギリだった南北戦争。歴史でわかる、トランプとプーチンの仲がいい理由」ということで、やっていきたいと思います。

 

1、はじめに

うちのチャンネルは、現在のトランプ政権のイラン戦争を全て「イギリス潰し」が目的だと決めつけて、動画を作成しています。

 

 

しかし、こんな乱暴な決めつけをしていれば、見てる人は当然「陰謀論」だと思うでしょう。そういうコメントを度々いただきます

なので、今回はアメリカの歴史が、イギリスの介入によって、いかにムチャクチャにされてきたのか?そのケーススタディとして”南北戦争”を取り上げます

 

 

ちなみに、アメリカ南北戦争は、英語ですと「Civil War」つまり内戦と表記されるのですが、2010年代の中頃ぐらいから、アメリカの映像作品の中で、

この「Civil War」と名前がついた内容のものが増えてきたような気がします。

 

ポリコレが激しくなって、リベラルと保守とのいがみ合いが酷くなってきたのが、この頃からだと思うのですが、このような政治的な分断がひどくなることで、内戦につながっていくのではないか?という不安を感じる人が増えてきたからではないかと思います。

しかし、南北戦争を詳しく見ていくと、単に北と南のいがみ合いというわけではないことがわかります。

 

漁夫の利という言葉がある通り、いがみ合いの外から、利益を掻っ攫うという構図は、いつの世の中にもあるし、それをしょっちゅうやってるのがイギリスなので、今回はその辺りをはっきりさせていきたいと思っています。

それでは、参りましょう。

 

参考記事

まず今回の動画で参考にした記事をご紹介します。

それがこちらのリチャード・ポー氏の「イギリスがアメリカ南北戦争を引き起こした経緯」です。

 

(参考:Richard Poe)

 

ポー氏の記事はこれ以外にも、いろいろと面白いものがあって、いくつか動画を作成する際のネタとさせていただいてきました。

それでは、ここからが本題です。

 

2、南北戦争とは?簡単に概要を解説

アメリカの南北戦争とは、1861年から始まったのですが、そもそも、なぜ南北戦争が起こったのか?について、その背景を詳しく知ってる人は、あまりいないと思いますので、この辺りを軽く触れていきます。

 

(参考:wiki「綿花外交」)

 

南北戦争が始まる前の1950年代後半時点で、アメリカ南部では、綿花が主要な輸出品目でした。

 

輸出先は主に欧州で、

イギリスの綿製品の77%、

フランス製の90%

ドイツ製の60%

ロシア製の92%

が、米国産の綿花だったようです。

 

では、なぜアメリカの綿花は、これほど欧州で大きなシェアを占めていたのでしょうか?

その理由は、奴隷制です。

 

アメリカの綿花は、労働者に黒人奴隷を使っていたために、価格競争力が強く、綿花市場を席巻していたんですね。

そのため、アメリカの南部の州は、この価格競争力を維持するために、奴隷制度が必要だったと言うわけです。

 

(参考:再建時代)

 

そのため、南北戦争前の南部の社会は、北部に比べて、かなり遅れていました。

北部は工業化が進んで、道路や鉄道などのインフラが充実し、労働者も所得がありますから、商人や店主がいるような小さな町が繁栄し、識字率も9割を超えていました。

 

その一方で、南部の州は、奴隷労働による大規模農業で、イギリスや欧州の奴隷みたいな商売をやっていましたし、貴族が低税率を好んでいたため、学校も道路も貧弱でしたし、外商が直接貴族のお屋敷に来るので、町自体もあまり発展せず、そして、識字率も白人ですら6~7割、黒人奴隷は3割以下という、目も当てられない状況にありました。

右の画像は、「風と共に去りぬ」のワンシーンですが、南部はこんな感じで貴族の白人はいい服、いい家に住んでいたものの、黒人はほぼ奴隷という、貧富の差が激しい階級社会だったのです。

 

(参考:wiki「アメリカの関税の歴史」)

 

それで、こちらの画像は、1820年から1960年ごろまでのアメリカの関税率の推移ですが、だいたい民主党の大統領になった時に、関税が下がっていることがわかります。

紫色の矢印と文字で書かれているのが、民主党の大統領と、関税が引き下がった時期になります。

 

アメリカの政党は、民主共和党の一党独裁から、民主党とホイッグ等の二大政党制へと変わっていくのですが、民主党の初代大統領のアンドリュー・ジャクソンの時に、関税を思いっきり下げているのがわかります。

この大統領は、南部で大農園を持っており、奴隷も150人以上雇っていたということで、もろにイギリスの手先みたいな大統領になっていました。

 

ただ、このジャクソンのお母さんは、大のイギリス嫌いでアメリカに来た人で、ジャクソンの兄もイギリス軍に殺され、自分もボコボコにされたという経験を持っているので、決してイギリスが好きというわけではなかったとは思いますが、成り上がろうと思ったら、イギリスの自由貿易システムに乗っかるしかなかったという感じなのでしょう。

イギリスの軍人は嫌いだけど、商売人は別という割り切り方をしていたのかもしれません。しかし、結局、大統領になって関税を下げてたので、やってることはイギリスの手先みたいな感じになってしまったと言えます。

 

それ以降の、ジェームズ・ポーク、フランクリン・ピアーズ、ジェームズ・ブキャナン、そして、ウィルソン、フランクリン・ルーズベルトと、いずれの民主党系の大統領を見ても、だいたい関税の引き下げをやっていたことがわかりますね。

関税を引き下げると、今の日本もそうですが、中国から安いものが入ってきて、国内の産業が死にます。そして、非正規労働者がたくさん増えて、一部の株主や経営者だけが儲かります。

 

一部の人間だけが儲かるルールができてくると、他の分野でも同じ発想になっていきます。

日本でも、国内のインフラ整備に金を使わないので、どこの自治体でも、水道管がやばいとか、橋がやばいとか、そういったことを全部放置しておきながら、駅前の再開発ビルに何百億円と金を突っ込んで、一部の業者だけが儲かって、役に立たない箱物ができるという、頭の悪い政治家と官僚の天下り先になってますよね。

これらの弊害の根源にあるのは、イギリスが作った自由貿易体制にあるのです。

 

他国との安売り競争になったら、国内の誰かを犠牲にしないと生き残れないと思っちゃう人と、それに乗っかる人間が出てきちゃんですね。

だからこそ、リンカーンは、このサイクルを止めるために共和党から大統領に立候補し、関税の引き上げを公約にしていたわけです。

 

関税を引き上げるということは、商品の価格が高くなる代わりに、国内産業が復活しますからね。日本はこれを捨てたために、あらゆる地方、産業が落ち込んでいるのです。

なので、南北戦争というのは、今風にいえば、イギリスの手先のグローバリストと、国内のハングローバリストとの戦いだったと見ることができるでしょう。

 

3、イギリスは、南北戦争にどうやって介入したのか?

そのため、イギリスは、この南北戦争の時に、何としてでも、今までの自由貿易体制を維持するために、南軍を勝たせる必要がありました。

ここからは、イギリスがいかにして、南北戦争に介入しようとしてきたのか?について、見ていきます。

 

(参考:wiki「南北戦争」)

 

まず、そもそもの話として、南北戦争を行った北軍州と南軍州は、どれぐらいの戦力差があったのでしょうか?

人口で見ると、北軍州は2200万人に対して、南軍は910万人でした。

また、兵士の数を見ても、北軍は210万人に対して、南軍は106万人でした。

 

つまり、人口、兵士の数で見ると、倍ぐらいの違いがあったんですね。

ところが、この南北戦争で口火を切ったのは、南軍でした。1861年4月にサムター要塞を砲撃して、始まったのです。

普通に考えれば、どう考えても南軍が勝てるわけがない。それなのに、合衆国から離脱して、すぐに戦争を仕掛けるというのは、どこかの国の支援をあてにしているとしか思えませんよね。

 

(参考:emergingcivilwar.com)

 

もちろん、それはイギリスでした。

こちらの地図は、アメリカ南部のものですが、黒い点線部分は、北軍による海上封鎖線を示しています。

 

北軍は、イギリスが南軍を支援するということがわかっていたため、その支援が来ないように、封鎖線を敷いていたんですね。

これは、戦争前に、イギリスの大使に伝えた際の大使の発言です。抜粋しますと、

「もし米国が、綿花生産州と英国との間のこれほど重要な取引を武力で阻止しようと決めたなら、何が起こるか分かりません。女王陛下の政府には、これらの港を開放するためにあらゆる手段を講じるよう、途方もない圧力がかかるでしょう」

以上です。かなりガチギレしていたことがわかりますし、イギリスがこの南北戦争に正面から介入しようとしていたことがわかります。

 

では、イギリスは、具体的に何をしたのか?見ていきましょう。

1つ目は、軍艦の提供です。

 

(参考:Wiki「CSS アラバマ号」)

 

イギリスは、リバプールで、CSSアラバマ号を建造し、南軍を支援するゲリラ部隊として活躍しました。

しかも、この乗組員のほとんどがイギリス人だったということで、完全にイギリスが南北戦争に参加していたことがわかります。

 

1862年から64年までの2年間で、大西洋を行ったり来たりすることで、北軍の貿易を邪魔して、450隻の船舶を拿捕し、荷物を奪い、そのうち65隻を焼き討ちにして沈めました。

そのため、この南北戦争が終わった後に、アメリカ政府からこの件で訴訟を受け、イギリスは1500万ドルの賠償金を支払っています。

 

(参考:wikipedia「confederate powderworks)

 

2つ目は、最先端の火薬工場の建設支援です。

南軍には、まともな火薬工場がなかったため、イギリス人技師が最先端の技術が載っている設計書とともにやってきて、ジョージア州オーガスタに1862年に火薬工場が作られました。

 

この工場の建築スタイルは、イギリス国会議事堂を模した、ゴシック様式になっているのは、イギリスの工場をそのままパクったからなんですね。

これによって、南軍の武器弾薬の供給が安定し、イギリスからの補給や支援がなくても、長期間の内戦を行うことができるようになりました。

 

 

そして3つ目が、周辺国への出兵です。

1861年の南北戦争開始に合わせて、欧州はアメリカの周辺国に兵士を大量に投入しました。

 

イギリスはカナダに1.1万人、スペインはキューバに2.5万人、そしてメキシコ内戦に介入するぞ!ということで、イギリス、フランス、スペインがメキシコに軍隊を送り込みました。これらがすべて、1861年の内戦開始のタイミングで行われたのです。

その中でも、特にフランスは、ナポレオン3世がメキシコを植民地化して、そのあとはテキサスや南部まで攻め込むぞ!と意気込んでましたので、

これらの挑発に乗って、対外戦争を仕掛ければ、いつでもイギリスなどの欧州諸国が、アメリカに傾れ込むことができるようになっていたのです。

 

(参考:wiki「トレント号事件」)

 

さらに、内戦が始まった1861年11月に、北軍のウィルクス大佐が、イギリスの郵便線トレント号を拿捕して、そこに乗っていた南軍の使節2名を捕まえるという事件が起こりました。これはトレント号事件と呼ばれます。

これを受けて、イギリスは中立国の船に乗り込んでくるとは何事だ!とブチギレて、その年のうちにカナダに1.1万人の兵士を増派し、さらに翌年には10万人規模で対応できるように武器や兵士の訓練を行い続けました。

 

イギリスの言い分としては、内戦の矛先がカナダに向かうかもしれないから、備えるんだ!という話でしたが、

ケンカの真っ最中に、相手を倒してもいないのに、周りの人間に殴りかかってくると怖いからという理由で、ビール瓶を探してるやべえおっさんと変わりません。

 

イギリスは独立戦争で負けて、その後の1812年の英米戦争ではワシントンを焼き討ちにしたりと、アメリカを植民地にしたくてしたくてたまらない、イカれた国だったので、いつでも戦争に乗り込めるように、準備をしていたんですね。

 

中露アメリカ大使だったカシアス・クレイは、南北戦争が起こる前に、政府にこのような助言をしています。抜粋しますと、

「イギリスの気持ちは一目瞭然だった。彼らは我々の破滅を望んでいる!彼らは我々の権力を妬んでいる。彼らは南部にも北部にも関心がない。両方を憎んでいるのだ」

(参考:wiki「トレント号事件」)

以上です。

 

これは一外交官の印象でしかありませんが、カナダやメキシコ、キューバに、各国の軍隊を駐留させて、軍備増強を進めていたという動きは、まさにイギリスがアメリカの破滅、分裂を狙っていたと考えても、おかしくないでしょう。

しかし、この戦争で各国が大っぴらに南軍を支援、承認するには、難しいところがありました。それが南軍州が採用していた奴隷制です。

 

(参考:wiki「奴隷解放宣言」)

 

今でも世界中を奴隷扱いしようと思ってるイギリスですら、大っぴらには1834年に奴隷制の廃止を決めています。

それなのに、奴隷制で金儲けしてる南部州を国家承認するということは、国民からの反発を招きます。

 

だからこそ、アラバマ号のようにこっそりと船舶を焼き討ちしたり、海上封鎖を突き抜けて、南軍に支援したりはできたものの、軍隊の派兵については、自国を守るためとか、メキシコからの支援要請ガーとか、そういう理由でしか、周辺国に軍隊を集められなかったのです。

リンカーンは、内戦の翌年1862年9月に奴隷解放宣言を予告したことで、南部の黒人奴隷の支持を取り付けたと言われていますが、それだけではなくて、イギリスやフランスなどの、イカれた欧州諸国が南部連合国を国家承認することを防ぐためという目的もあったんですね。

 

ただ、表向きはこのような外交承認の可能性は無くなったものの、アラバマ号によるゲリラ作戦は1864年まで、ここから2年ぐらい続きました。

さらに、イギリスは南軍の国家承認は難しくなったものの、内戦を泥沼化させることで、停戦交渉に介入し、勝負が決まらないから、別々の国にしたら?という提案で分裂させようとしたわけです。

 

そのため、南北戦争は、1865年まで続き、死者は62万から75万人と、当時の人口の2%強にもなりました。最終的には北軍の勝利で終わりましたが、アメリカの弱体化にはつながったので、まあいいか、というのが、イギリスという国なんですね。

 

4、ロシアに救われてきたアメリカ

このように、南北戦争は、欧州諸国が隙あらば攻め込もうと、虎視眈々と狙っていたのですが、このような動きを止める役割を果たしたのが、実はロシアでした。

 

(参考:Historynet.com)

 

ロシアは、1863年9月にNYへ、10月にサンフランシスコへ、それぞれロシアの艦隊を送り込み、7ヶ月間、英仏が邪魔してこないように睨みを効かせ続けました。

なぜこんなことをやったのか?というと、理由は2つあって、

 

1つは、ロシアにとって、アメリカが弱体するということは、イギリスがさらに強くなることにつながりますので、それは嫌だということ。敵の敵は味方というわけです。

そしてもう1つが、1853年のクリミア戦争の時に、アメリカがロシア側についてくれたからです。

 

この恩返しという意味も含めて、艦隊を派遣したんですね。

そして、実は米露関係というのは、昔から持ちつ持たれつの、いい関係が続いていました。

 

(参考:wiki「第一次武装中立同盟」)

 

1775年から始まった独立戦争の時に、ロシアは武装中立同盟を宣言して、周辺の欧州諸国と一緒に、イギリスをほったらかしにしました。

これによって、フランスがアメリカの支援をやりやすくなって、イギリスからの独立が実現しました。

 

その後も、

クリミア戦争でアメリカがロシアを支援し、

南北戦争では、ロシアがアメリカを支援し、

ソ連の第一次五カ年計画では、アメリカの企業がこぞってロシアに行って500以上の工場を作りました。

 

という感じで、米露関係というのは、全く悪いところがなかったのです。

なので、アメリカの歴史を見ていくと、「ロシアは敵」と言ってる人間は、基本的にイギリスの手先でしかないんですね。

 

(参考:ecfr.eu)

 

昨年8月に、トランプとプーチン大統領は、アラスカで首脳会談をやりましたが、レッドカーペットを敷いてのお出迎えということで、ロシアに媚びたトランプはひどい、みたいなことを言ってるメディアをたくさん見かけましたが、「ロシアは敵」という見方が、今も相変わらず、欧米先進国に根付いていることがわかります。

しかし、基本的にイギリスとか欧州というのは、現在のNATOなんかを見ててもわかりますが、クレクレ言うだけの疫病神ですから、米露関係の歴史を知ってる人から見ると、敵はイギリスだったし、恩人だったのはロシアだと見えているでしょう。

 

というわけで、今回は南北戦争の歴史を細かく見ていくことで、イギリスという国がアメリカにとって、いかにいらない国で、常に相手の破滅を願うことしか考えない、イカれた国だったかということを見てきました。

歴史を細かく見ていくと、だいたい違和感があったり、おかしなことが起こってる場合は、イギリスのせいだと決めてかかると、本当に欲しい証拠が見つかったりすぐので、個人的には、非常に世界史が面白くなっています。

今後も、こんな感じで、「どうせイギリスなんでしょ?」という偏見を入れながら、動画を作っていきたいと思っています。

 

この記事を書いた人
ゴトウ

証券会社で12年間勤務。営業と店舗マーケティングに従事後、2018年から当サイト「イエ&ライフ」を運営しています。

不動産価格の動きの理解や今後の予想は、金融マーケットの知識があると理解しやすいため、読者のお役に立てるのではないかと、サイトを運営しています。

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