フランス革命の嘘。イギリスから洗脳された、自由、平等、博愛 | イエ&ライフ

フランス革命の嘘。イギリスから洗脳された、自由、平等、博愛

youtube原稿

今回の動画は、「フランス革命の嘘。イギリスから洗脳された、自由、平等、博愛」ということで、やっていきたいと思います。

 

1、はじめに

このチャンネルでは、これまで

2014年のウクライナでのマイダン革命

1958年のキューバ革命

1979年のイラン革命

について、それぞれ動画内で検証してきたのですが、どれも英米が仕掛けたでっち上げ革命だと判明しました。

 

 

これ以外にも、カラー革命と呼ばれるものは、英米が仕掛けた疑いが濃厚です。

昨年2月にUS AIDというアメリカの組織がトランプ政権によって廃止されましたが、そこから出ていた資金が全米民主主義基金にわたり、そこから各国のカラー革命に流れていったということもわかっています。

 

なので、革命と名前がついているものは、全部怪しいと見た方がいいと、最近感じていました。

例えば、中国には易姓革命という言葉があって、それぞれの王朝でだらけたことをやってると、天子としての徳が失われ、それがきっかけで王朝が変わると言われてきました。

 

 

実際、それぞれの時代にデカい農民反乱が起こって、その後に王朝がひっくり返るケースが多くあります。

それで、その農民反乱を調べてみると、規模も数十万人規模で大暴れして、年数も長いものだと10年とか、かなり大規模なんですよね。

 

ところが、フランス革命やロシア革命、キューバ革命、イラン革命などの、近現代の革命と呼ばれるものを見てみると、まあ、規模が小さいです。

フランス革命はパリだけで、8000人ぐらいが暴れて、武力衝突は1日で終わってます。

ロシア革命も数万人が暴れたと言いますが、わずか5日です。

 

キューバ革命は、期間が6年と長いですが、完全にゲリラ戦で、革命軍は多い時でも数百名しかいませんでした。それに対して、政府軍は3万人ぐらいいました。

イラン革命は数十万人規模のデモが起こり、期間も1年ぐらいかかってますが、これには英米の関与がしっかり証拠として残っています。

という感じで、近現代の革命は、本当に規模が小さいのです。中国のように、全然ガチンコバトルをしていないし、人も対して死んでいません。

 

(参考:wiki「ジャコバン派」)

 

むしろ酷いのは、革命後です。

フランス革命後に、ジャコバン派が狂って1.7万人を処刑していますし、

ロシア革命後に、ボリシェビキが数万人の聖職者を処刑しています。

キューバでも、数百から数千人が処刑されたと言われていますし、

イラン革命でも、数千名が死んでます。

 

ということで、今回の動画では、フランス革命を取り上げて、なぜに、こんな酷いことになっているのか?について考察していきます。

それでは、参りましょう

 

参考記事

最初に、今回の動画で参考にした記事をご紹介します。

それがこちらの、「イギリス人はいかにして共産主義を発明し、そしてそれをユダヤ人のせいにしたか」という、タイトルだけ見ても、かなりそそられる記事です。

 

(参考:substack)

(参考:アマゾン)

 

この記事の筆者は、リチャード・ポーというジャーナリストで、画面中央の画像は、同名の書籍になります。Amazon176件、4.6の高評価を受けている本になります。

2024年発刊のものなので、比較的新しめの書籍ですね。

 

私はChromeの翻訳機能を使って読んでるので、洋書はほとんど持っていないのですが、同名の記事があったので、こちらを参考にさせてもらいました。

記事といっても、相当に長いです。

私はもう50近いので、眼精疲労にならないようにと、長文の記事は印刷して読んでるのですが、A4用紙で80ページになりました。1枚に2ページ分印刷したので、40枚ぐらいに収めて読みましたが、まあ結構な分量でした。

 

それで、この記事のタイトル通り、共産主義はイギリス人が作ったという内容のものなのですが、その中でフランス革命もイギリス人が仕掛けたという話が載っており、今回はこの部分を参考にしながら、考察していきたいと思います。

それでは、ここからが本題です

 

2、フランス革命とは何だったのか?

フランス革命は1789年から始まったフランス国内のゴタゴタなので、もう250年近く昔のもので、新聞などのメディアもそれほど発達していませんでした。

なので、その時代の手紙が重要な手掛かりになるのですが、こちらはアメリカの独立宣言を起草したり、第3代目の大統領をやったトマス・ジェファーソンによる、フランス貴族のラファイエットへ送られた手紙です。

 

(参考:founders.archives.gov)

 

ジェファーソンは、フランス革命当時、駐フランスの米国大使だったので、革命当時の状況を肌身で感じていた人です。そんな人がこんなことを書いています。

抜粋しますと、

「外国人(イギリス人のことです)は、武力では打倒できない政府を金で無政府状態に陥れ、雇用された雇われ僭称者たちの友愛の抱擁によって、真の共和主義者たちを評議会で潰し、そして最終的に、彼らが確保した立憲君主制は、ロベスピエールの無節操で血生臭い専制政治と交換されました」

(参考:founders.archives.gov)

以上です。

 

イギリスが、フランスを金の力でかき乱して、革命を起こしたと書かれていますね。

では、なぜイギリスがフランス革命を仕掛けたのか?というと、それはアメリカ独立戦争で、フランスがアメリカを支援したからです。

 

(参考:wikipdia)

 

1775年から始まった独立戦争に、フランスは1778年から参戦しています。

イギリスとフランスは、それ以前から植民地争いでバトルを続けていて、1756年から63年まで7年戦争をやって、フランスは負けていました。

 

なので、フランスとしてみれば、アメリカが独立すればイギリスが弱体化するということで、喜んでアメリカ側についたんですね。

また、この独立戦争には、スペインやオランダもアメリカ側について参戦しましたし、ロシアも中立宣言をして傍観を決め込んだので、イギリスだけで戦う羽目となり、結局負けてしまった、という戦いだったのです。

 

なので、フランス革命は、アメリカが独立したことに触発されて起こったというものではなくて、この時の恨みを晴らすために、イギリスがフランスに仕掛けたクーデターだったというのが、正しい見方だというわけです。

また、フランス革命を時系列で見ていくと、最初はけっこう穏やかだったことがわかります。

 

(参考:wikipedia「フランス革命」)

 

赤枠で囲んだ絵が、中学高校の教科書で見たことがあるバスチーユ牢獄の襲撃ですが、

実はこれって1日で終わってます。8000人の群衆が押し寄せて、ここにあった武器を取ろうとして一悶着があって、市民側が100人ぐらい死んだとされています。

 

たまに、今でも政府抗議デモで、何十人、何百人規模で死んだりしている国のニュースが出てたりしますが、そのぐらいの規模感だったんですね。

なお、バスチーユ襲撃をした7/14は、フランスの祭日になっているようです。

 

それで、8月には人権宣言が発表されて、10月には教会財産の国有化が決まり、翌年3月には封建的特権の廃止され、バスチーユ襲撃の1周年では、祭りが行われ、国王も参加しています。

こんな感じで、フランス革命というのは、最初のバスチーユの襲撃で一回大騒ぎはあったものの、その後もゴタゴタあったものの、それまでの封建的な体制から、少しずつ変わりつつあったのです。

 

それがやべえことになるのは、革命から3年後の1792年以降なのです。

では、具体的に、どんなことをイギリスはやったのか?について、3つほど、見ていきましょう。

 

(1)ジャコバン派のクラブネットワークを拡大

1つ目は、ジャコバン派のクラブを全国に設置していきました。

フランス革命は、ロベスピエールなどのジャコバン派と呼ばれる過激派が政権をとった1793年以降、粛清に次ぐ粛清で、ルイ16世を処刑したり、貴族をバシバシ処刑して恐怖政治を敷いて行きましたが、このジャコバン派系の「クラブ」と呼ばれる団体が、フランス全土の都市のあちこちで作られていくことになりました。

 

(参考:ReseachGate)

 

「クラブ」という言葉は、もちろん英語由来の言葉ですが、当時のフランスにもこの言葉はなく、流行語のように広まっていったようです。

それで、このクラブは1790年末には、フランス全土で300

1791年末には1200、そして1792年末には3500もあったと言われています。

 

ちなみに、日本のチェーン店舗数を見ると、ガストと吉野家が1200店舗、サイゼリヤが1000店舗、すき家が2000店舗です。

3500と言えば、すき家と吉野家となか卯を足したぐらいなので、いかに多くのクラブが、できたかがわかりますよね。

 

じゃあ、なんでこんなに増えたの?というと、これはイギリスのロンドン革命協会という、弱小グループの声明文が、バスチーユ襲撃後の国民議会で朗読され、それを聞いた議員たちが「感動した」とみんなに広めたからだそうです。

 

どんなことが書かれていたのか?というと、こんな感じです。

「このような輝かしい模範の影響が、全人類に及ぶことを切に願う」

(参考:ReseachGate)

以上です。

 

はあ?って思いませんか?

隣の国の、何の実績もない弱小団体が、自分たちの議会に向けて手紙をよこして、そこには「あなたたちはすごい!こんなことができるのは、フランス人だけだ!この調子で、世界のために頑張ってください!」みたいな、ヨイショした言葉が並べられていた。

それをきいた議員たちが「感動した!」といって、あなたたちのやり方を教えてください!とクラブの設立や運営方法を聞きに手紙を出して、1年後には3002年後には12003年後には3500までクラブが増えましたと。

そんなうまい話があるわけがない。

 

ちなみに、このロンドン革命協会は、1788年、つまりフランス革命の前の年に作られています。名誉革命の100周辺を記念して作られたということですが、主張していることが過激すぎて、全然名誉革命っぽくないです。むしろ、フランス革命を煽るための組織だったのでしょう。

なにぶん250年近く昔なので、証拠はありませんが、ここから金がばら撒かれたからこそ、これほど短期間にフランスで過激派のネットワークができたのではないかと思いますね。

 

(2)仏語新聞でアジテーション

2つ目は、隔週新聞でアジテーションをやってたということです。

クーリエ・デ・ヨーロッパという、ロンドンで隔週で発行されていた新聞があるのですが、

この新聞は、フランス語圏の読者に向けて作られていた新聞でした。

 

(参考:wikipedia)

 

このオーナーという人は、元イギリス海軍中尉で、スパイもやっていたというサミュエル・スウィントンという人なのですが、ここで書かれていた内容が、フランス貴族の打倒や、平等社会を説いていたというもので、フランス国内で発禁処分になっています。

今でもイギリスは王室も、貴族院もあるという、ダサくて古臭い階級制の社会のくせに、自分たちのことは棚に上げて、フランスのことを文句言ってるなんて、完全に煽り目的でしかありません。

 

当時のロンドンというのは、ちょっと前までのNYみたいなもので、貴族の亡命先とか、リベラルな知識人の交流の場とか、無政府主義みたいな人たちも受け入れていたようなので、ロンドンに行って頭をやられたフランス人はけっこういたと思います。

ロベスピエールはフランスから出たことがなかったようですが、ダントンやマラーなどの、ジャコバン派のやべえ奴らは、イギリスへの渡航経験がありますので、そこでいろいろ教わったり、金もらったりしていただろうと思われます。

 

(3)偽造紙幣で経済を混乱させた

3つ目は、紙幣の偽造もやって嫌がらせをしていたということです。

フランス革命が始まった1789年にフランス政府はアッシニアと呼ばれる、国債のような紙幣のようなものを発行します。

 

(参考:wikipedia)

 

これは当初、利息がついていたので国債のように見えますが、のちに利息をつけなくなったので、紙幣的な意味合いが強くなっていきました。

それで、このアッシニアは、政府や教会から没収した、主に不動産を担保に発行された紙幣なのですが、その発行額がどんどん増えていった結果、アッシニアの価値が目減りしていきました。

 

3年後の1792年には額面の半分ほどの価値しか無くなっていたようです。

それで、このアッシニアの紙幣をイギリスは、偽造してフランス国内でばら撒きました。

当時は、印刷技術もそれほど高くなかったので、簡単に偽造できてしまったようです。その結果、偽札が出回ることで、余計に信用が落ちてしまい、大混乱となり経済がボロボロになっていったというわけです。

 

 

こんな感じで、

①やべえ奴らをジャコバン派クラブとして、結束させ、

②新聞などで「全ての国民が平等な、パラダイスみてえな国を作りてぇ」と洗脳し、

③偽札ばら撒いて、経済を大混乱に陥れる

と言った感じで、フランス国民の生活を追い込みつつ、王政に対する不安を高めていった結果、ルイ16世とマリー・アントワネットは、1793年にジャコバン派によって処刑されました。

 

当時の王族は、パリでほぼ軟禁状態にあったので、生活が苦しいのは王様のせいだと見られており、針の筵のような状態でした。

それに耐えきれなくなって、1791年にパリから逃げ出そうとするのですが、見事に捕まってしまい、どうせ外国と繋がってるんだろ!とさらにヘイトが溜まっていき、最終的には処刑されてしまったというわけです。

 

(参考:wikipedia)

 

この処刑は1793年に起こったのですが、これによって名実ともにフランスでは王政が廃止されましたので、この革命がうちに来たらやばい、ということで、イギリスが周辺国を取りまとめて対仏同盟を作り、みんなでよってたかってぶっ叩き始めました。

ところが、フランス国民が覚醒して、国民全員が兵士になって、手弁当で戦争に参戦し、ナポレオンという優秀な指揮官を得たこともあって、各国を撃退し、逆に欧州全域を支配することになった、というわけです。

 

このように、フランス革命というのは、フランス国民が、アメリカ独立戦争に感化されて起こったというわけではなく、イギリスからいろいろな思想的な吹き込みをされて、金も握らされた人たちが煽動した結果、周りも一緒に踊ってしまった、みたいな話だったと思います。

 

(参考:wikipdia)

 

今回調べてみて思ったのは、やはり革命というのは、手口がけっこう似てるんだなということでした。

そもそも近代以降の王政とか、日本の幕藩体制もそうですが、国民あっての王政という意識が強くなってきたからか、国民がぶちぎれると、強烈に弾圧することはなく、むしろ譲歩する傾向にあると思います。

 

日本も無血開城しましたし、フランス革命でも、ロシア革命でも、イラン革命でも、泥沼の内戦みたいな、そんなことを王政側がやろうとはしてきませんでした。

ところが、革命側が政権を取ると、大体の場合において、それをやっています。

それは、自分たちの権力を確固たるものとするという意味もあるのでしょうが、外国勢力、つまりイギリスからの影響力も強かったのだと思います。

 

イギリスというクズな国は、基本的に自分たちの国よりも強い国を許しません。

なので、革命というドサクサを利用して、貴族や教会などの既得権層を弱体化させ、自分たちの都合の良い環境を作ろうとしてきたのでしょう。

そのような戦略の最初の成功例が、フランス革命だったのだろうと思います。

この記事を書いた人
ゴトウ

証券会社で12年間勤務。営業と店舗マーケティングに従事後、2018年から当サイト「イエ&ライフ」を運営しています。

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また、2024年からYoutubeチャンネルも始めました。
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