今回の動画は、「共産主義革命の嘘。なぜイギリスは共産主義を作ったのか?」ということで、やっていきたいと思います。
1、はじめに
前回の動画では、フランス革命が、実はイギリスが仕掛けたものだったということを解説しましたが、今回は共産主義について取り上げます。

①共産主義という概念そのもの、と
②ロシア革命
も、実はイギリスが作って仕掛けた、ということについて考察していきます。

なお、この話は、こちらのサブスタックの記事を参考にして作りました。記事の筆者はリチャード・ポーというジャーナリストで、画面中央の画像は、同名の書籍です。
記事はかなり長いですが、非常に興味深い内容なので、概要欄にリンクを貼っておきます。それでは、ここからが本題です。
2、なぜイギリスは、共産主義を作ったのか?
まずは、なぜイギリスは、共産主義という思想を作ったのか?を見ていきましょう。
ヨーロッパで生まれ、ヨーロッパで盛り上がった共産主義という思想が、実際に革命という形で国家に影響を与えたのは、ロシア、中国、キューバ、ベトナムなどの、社会が発展していない国が多いです。

おかしいですよね?なぜヨーロッパで共産主義革命が起こらなかったのでしょうか?
その理由は、貧乏な国ほど、不満を溜めている国民が多くいるし、政府の力が弱いので、海外、特にイギリスからの介入に弱いからです。
つまり、共産主義とは、歴史的にみると、ブルジョワがいない国ほど効く欠陥理論であり、ただのイギリスが使う政府転覆、弱体化の道具でしかなかったんですね。
実際、カナダの政治学者のマイケル・イグナティエフは、19世紀のマルクス主義は、事態を悪化させることを目標としたテロリズム戦略の最初の理論だったと指摘しています。

そのまんまですよね。
具体的には、どんなこと言ってたのか?というと、
①プロレタリアの利益を最優先すること
②私的所有の廃止
③武力による民主革命以外、認めないこと
④テロリズムの容認
などです。
アホでしょ?
完全に気狂いの思想でしかありませんよね。
でも、これに熱狂してた人がいるわけですから、要するに、虐げられてきた人たちが、いい目を見てる奴らをぶん殴れる、格好の口実を見つけたということだったのでしょう。

また、私的所有を廃止して、生産手段の共有を目指すということで、
「全ての国民が平等な パラダイスみたいな国を作りてえ」ということを考えていたわけですが、
共産党宣言を見てみると、ブルジョワ的所有の廃止とは書かれているものの、王室などの特権階層の土地財産を返せとは、一言も書かれていないんですね。
なぜ特権階層の土地財産は問題にならないのか?というと、そういう土地も、ブルジョワがビジネスでどんどん買い占めていってるから、そこは重要な問題じゃない、という話なのですが、じゃあそういったブルジョワが、王室の土地を買えますか?というと、それは無理じゃないですか?
この主張には、巧妙な穴があるのです。
つまりは、今で言えば、イーロン・マスクやザッカーバーグのような、派手な会社の超大富豪は、共産主義の敵となりますが、イギリス王室の財産を没収しろとは言ってないし、タックスヘイブンを通じて隠している資産などは、見つけるのに大変だからスルーみたいな、そんな感じなのです。
また、マルクスは、大のロシア嫌いだったようで、1953年から56年にかけてのクリミア戦争の最中に、NYトリビューン誌に記事を寄稿しているのですが、その内容を見てみると、イギリス推しでロシア批判という、現在のウクライナ戦争での西側メディアの批判のトーンにそっくりでした。

一部抜粋してみますと、
「ロシアは紛れもなく征服国家であり(中略)ヨーロッパ大陸には事実上2つの勢力しか存在していない。ロシアと絶対主義、革命と民主主義である。(中略)革命民主主義とイギリスの利益は一致してる。」
以上です。
ロンドンに住んでいたとは言え、植民地戦争をやりまくっていたイギリスを民主主義と言ってる時点で、完全にイギリスの手下に成り下がっているのがわかりますよね。
また、マルクスは、アークハートというイギリスの極右政治家についても、肯定的な評価を行なっていました。

アークハートの主張というのは、「昔の地主と小作人との関係には愛があって、小作人は地主を尊敬してたけど、現在のブルジョワは、労働者を奴隷のようにコキ使って搾取してて、けしからん。
むしろ、昔みたいな地主と小作人の関係に戻った方が、お互い幸せなんじゃね?」
という感じの考え方です。
普通に考えれば、地主と小作人という、階級があること自体、マルクスであれば批判しそうなものですが、そうではないのです。
では、なぜ極左の共産主義者のマルクスが、極右政治家のアークハートを評価しているのか?その理由は、どちらも中間層を憎んでいるということです。

ここまでの話を図にするとこんな感じです。
マルクス時代の英国において、英国王室の存在を上層とすると、ブルジョワジーは中間層になり、プロレタリアートは下層になります。
アークハートの求める封建時代というのは、下層の小作人と、上層の王室や地主という、上層と下層しかない関係であり、この小作人の中から、ブルジョワが成り上がってきて、小作人を掠め取っているから、ムカついているという話なのです。
なので、マルクスの共産主義革命というのは、上と下の戦いではなく、真ん中と下との戦いを煽るものだったんですね。
例えば、ロシアや中国などの共産主義革命が起こった国では、下層には貧乏している国民がいて、その上に貧弱な旧政府、国内の旧エリートがいて、それを上層の、英米が支援した共産党政権が倒すという構図になっています。
そして、現在の先進国で起こっているのが、下層にマイノリティのLGBTQの人たちや、不法移民を入れて、真ん中の一般国民を倒させる、それを上層のグローバリストが、国連とか政府に圧力をかけて、応援するという図式になっているように思います。
3、イギリスはいかにしてロシア革命を仕掛けたのか?
では、このような共産主義を使って、イギリスがどうやってロシア革命を仕掛けたのか?見ていきましょう。

まずは、イギリスとロシアの歴史的な関係について触れておきます。
高校時代に世界史を学んだ人であれば、イギリスがロシアの南下をしょっちゅう停めてきた事に気付いたと思います。
例えば、1853年から56年にあったクリミア戦争では、ロシアが黒海、地中海への進出を防ぐためにイギリスが邪魔しましたし、
1904年から5年の日露戦争では、ロシアが極東に進出しないために、イギリスが日本と同盟を結んで、日本が軍艦の費用を調達することも手伝って、日本にロシアをぶつけさせました。
また、戦後の1947年に始まった米ソ冷戦は、その前の年の1946年にチャーチルがアメリカで鉄のカーテン演説を行い、それがきっかけでアメリカとソ連を敵対させましたし、
2014年のマイダン革命も、英米がウクライナのクーデターを支援して、ロシアと戦わせるために軍事訓練や軍備を整えてきたため、2022年からロシアが攻められる前にと攻め込んで今に至ります。
こんな感じで、イギリスは200年近く、ロシアに戦いを挑み続けてきたんですね。
この戦略は、地政学という学問にまでなって、研究されてきました。

イギリスの地政学者にマッキンダーという人がいますが、彼は海洋国家イギリスをシーパワー、大陸国家ロシアをランドパワーと名付けて、お互いの国の成り立ち方が違うので、戦いは避けられないから、イギリスはロシアに対抗するために、他の海洋国家と協力して、戦わなければいけない、みたいなことを言ってました。
こんな感じで、イギリスは地政学も含めて、ありとあらゆる手を使って、ロシアを弱体化させる作戦を考えてきた歴史があるのですが、共産主義思想もその1つの手段として使われていきました。
ロシア革命へ至った経緯
では、実際にロシア革命について見ていきましょう。
1905年にも失敗した暴動があったので、1917年のは第二革命と言われたりもしますが、今回のロシア革命は1917年のものを指します。

そして、このロシア革命は、
二月革命で、ニコライ2世の退位と、臨時政府の立ち上げが行われて、
十月革命で、臨時政府やら他の政党を全部ぶっ倒して、ボリシェビキの共産党が一党独裁になる、という2段階の革命になっていました。

それで、このロシア革命が起こる前のロシアは、そろそろヤバいという状況ではありました。
1914年に第一次世界大戦が起こって、ロシアはイギリスとフランスと組んで、ドイツ、オーストリアと戦ったのですが、ドイツ側にトルコが参戦してきたことで、ロシアの南側ではトルコと、西側ではドイツと戦うハメになったため、海外からものが入ってこなくなって、たった2年で物価が4倍に上がってしまいました。
さらに、日本でも明治維新以降に西洋医学が入ってきたことで、衛生状態が良くなって人口が爆増していきましたが、ロシアもそれは同じで、1897~1914年までの17年間で、人口が1.3億人から1.7億人へと4000万人も増えたため、農民が都市に流れてきて、首都のペトログラードの人口は100万から200万に倍増していました。
さらに、戦争で兵士がバカバカ死んでいくので、新しい兵士の補充をしていたのですが、首都のペトログラードでは、1.5万人収容できる兵舎に16万人もぶちこんでいたということで、部屋には3段ベッド、4段ベッドでギュウギュウになって暮らしていた、ブチギレ寸前の兵士がたくさんいました。
こんな感じで、物価上昇で生活できない都市労働者や、兵舎に押し込められて生活に不満の兵士が大量にいるという、暴動寸前の状態だったのです。
また、イギリスとフランスは、ロシアと秘密条約を結んだこともあって、1915年から16年にかけて、トルコのコンスタンチノープルを攻めました。これはガリポリ戦役と呼ばれるのですが、ここでわざと大負けして、10万人近くの兵士が死にました。

ロシアは、弱小のトルコに英仏が負けるわけがないと期待していたのですが、ここでまさかの大負けとなったため、黒海方面からの貿易が再開されず、物価上昇に追い込まれてしまったのです。
以前の動画で、第一次世界大戦は、イギリスがドイツをぶっ叩くために、わざと仕掛けたということを解説しましたが、実は味方側のロシアも、革命でぶっ倒すという、曲芸みたいなことをやっていたんですね。

それで、二月革命についてですが、このようにして、イギリスは第一次世界大戦にロシアを引き込み、助けるフリをしてわざと負けることで、ロシア経済を窮地に追い込んでましたし、
ニコライ2世の奥さんのアレクサンドラは、ラスプーチンという僧侶にハマって、アホな政治しかしなかったために、他の皇族も愛想を尽かしていたようです。
そういう状況の中で、イギリス大使のブキャナンは、皇族や立憲君主制を求める自由主義政党の指導者を大使館に招待して、「あの皇帝は、嫁さんもどうしようもないから、やめさせた方がよくね?」と、あれこれ吹き込んでいました。
それで、皇室やら政府の高官をニコライ2世から離反させたのが、二月革命だったのです。

そして、さらにそれをひっくり返したのが、十月革命でした。
二月革命で作られた臨時政府は、ほとんど機能せず、いろいろな派閥による主導権争いが続いていました。
そんな中で勢力を拡大してきたのが、レーニンやトロツキーがいるボリシェビキでした。
ただ、このボリシェビキが人気があったかというと、そんなことはなくて、十月革命の後に総選挙をやったのですが、24%しか得票できなかったため、逆ギレして無理やり議会を解散し、一党独裁政権へと突入していきます。
それで、この十月革命では、トロツキーとレーニンが有名ですが、どちらもイギリスのスパイでした。

トロツキーとレーニンは、1902年にロンドンで「イスクラ」というロシアの左派政党の機関誌を編集していて、イギリスの諜報機関との接触があったと疑われています。
というのも、その後、いろいろあって、トロツキーはNYで編集の仕事をしていたのですが、1917年にロシア革命が起こって、ロシアに向かおうとしてたところ、イギリス軍に捕まって1ヶ月の勾留後に釈放されているのです。
そして、その年の年末には、ロシアのボリシェビキのNo2にまでなっていました。
軍隊経験もない、海外住まいのドッカのおっさんが、ロシアに行って、1年も経たないうちにロシアのNo2になるって、どう考えてもおかしいでしょ?
このボリシェビキ自体が、イギリスの影響を大きく受けていたのでしょうし、トロツキー自身は、1938年にソ連の欠席裁判で、スターリン暗殺未遂と、イギリスのスパイということで、起訴されて、その後、亡命先のメキシコで暗殺されています。

そしてレーニンも、イギリスのスパイでした。
1902年にトロツキーと一緒にロンドンでイスクラという機関誌の編集をやっていましたし、
その後、ロシア革命が起こって、1917年4月にドイツから金をもらってロシアに向かっています。
じゃあ、ドイツのスパイなんじゃね?と思うかもしれませんが、レーニンに金を渡すように提案したのは、アレクサンダー・パルブスという人物で、これがイギリスのスパイだった可能性が高いと言われている怪しい人物なのです。
というのも、パルブスは、共産主義革命を目指していた言論人だったのですが、ドイツで横領の罪で告発され、ドイツ国内で仕事ができなくなったため、トルコのコンスタンチノープルに移住します。
そして、そこでわずか5年の間に、実業家として、大金持ちになっているのです。なぜ商売の経験もない言論人が、異国の地で5年で大金持ちになれるのでしょうか?
その理由は、バジル・ザハロフという武器商人と繋がっていたからではないか?というのが、ポー氏の考察です。
バジル・ザハロフは、当時コンスタンチノープルで武器商人をしており、かなり影響力が大きい人物だったようで、イギリスから騎士の称号も授与されています。
なので、このザハロフは、イギリスのスパイだった可能性が高く、この人物とパルブスも繋がっていただろうから、レーニンはイギリスによる支援と支持を受けたのだろうというわけです。まるで007のような、スパイ映画のような世界ですよね。

それで実際、トロツキーとレーニンは、政権を取った後に、帝政時代に結ばれた秘密条約を公開し、破棄を宣言しました。
この条約の中では、ロシアはコンスタンチノープルとその周辺の領土をもらう予定となっていたのですが、この宣言によって、イギリスはロシアにコンスタンチノープルを渡さないですみました。
さらに、帝政時代に持っていたペルシャ北部をイギリスに明け渡すことにも繋がりました。ペルシャは今のイランですが、これによって、イギリスは当時最大の油田地帯を手に入れることになりました。
なので、この行為は、完全にイギリスに得にしかならないものであり、当時のトップのレーニンとトロツキーがこれを決めたということで、完全にイギリスのスパイだったということがわかるというわけです。

そして、このロシア革命は、その後更なる内戦へと発展して、多くの人が死にました。
十月革命で共産主義革命が成功したということで、これが世界中に広がってはまずいと、フランスやイギリス、日本、アメリカなどが相次いで参戦したのです。
この内戦で、ソ連は1000~1700万人が死亡されたといいますので、イギリスの当初の目標である、ロシア、ソ連の弱体化は見事に成功したと言えるでしょう。
なぜソ連は復活したのか?
というわけで、イギリスが共産主義を作る必要があった理由と、それを実際にロシア革命で使ったということについて見てきました。
毛沢東時代の中国や、キューバなどを見ても、基本的に共産主義が経済を発展させることはありません。
なので、国家を弱いまま維持するための思想であり、統治方法なのは間違いないと思うのですが、じゃあ、なぜソ連は第二次世界大戦で、これほど強くなったのか?ということですよね。

(参考:wikipedia「第一次五カ年計画(ロシア語版)」)
そのきっかけとなったのは、1928年から1933年まで行われた、第1次五カ年計画だったのですが、実はこれにアメリカが絡んでいました。
アメリカから多くの技術者がソ連に行って、技術指導を行い、自動車やトラクター、製鉄所など、500以上の工場を作って支援したのです。
この頃には、レーニンやトロツキーといったイギリスのスパイが追い出されて、スターリンになっていたので、共産主義体制から変わると期待していたのかもしれません。
アメリカの真の独立派は、イギリスの植民地主義的な考え方をクソだと思っていたので、ソ連の支援を通じて、イギリスを止めたかったのではないかと思います。
以前からたびたび参考にしている、プロメシアン・アクションというチャンネルでは、第二次世界大戦で、日本を戦争に誘い込んだ、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領をアメリカを建て直そうとした、偉大な大統領として、かなり高評価をしています。
ルーズベルト政権は、ソ連と繋がっていたということで、共産主義者に操られていた、みたいな話があるのですが、おそらくそういうことではなく、イギリスが仕掛けた共産主義作戦でソ連を弱体化させると、イギリスがもっと世界中でやりたい放題になってしまうので、それを防ぐために、共闘関係を結んでいたのではないか?と今のところは考えています。
この辺りのことは、日本が第二次世界大戦に参戦したことは、世界史的にどういう意味を持っていたのか?ということにも繋がってくると思っているので、もう少しいろいろ調べてまとまってきたら、動画にしてみたいと思っています。







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