坂の上の嘘。なぜ負け戦の日露戦争をこれほど有り難がるのか? | イエ&ライフ

坂の上の嘘。なぜ負け戦の日露戦争をこれほど有り難がるのか?

youtube原稿

今回の動画は、「坂の上の嘘。なぜ負け戦の日露戦争をこれほどもてはやしたのか?」ということで、やっていきたいと思います。

 

1、はじめに

前々回の動画で、日清戦争を取り上げたのですが、その時に調べてわかったことは、イギリスによって仕掛けられた戦争だったということでした。

 

 

今回は、この流れの先にある日露戦争について、いろいろと確認していきながら

「一体、これらの戦争は、何の意味があったのか?」

について、考察していきます。

 

 

それで、日露戦争といえば、司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」を思い出す人が多いと思います。

この作品の中では、秋山好古と真之の兄弟が出てきますが、まあ、英雄的というか、天才的というか、そういう描かれ方がしてて、キャラが立ってましたから、物語としても読みやすく、ファンも多かったと思います。

 

しかし、司馬史観と呼ばれる司馬先生の歴史観は、ざっくりいうと、「明治はよかった。昭和はダメだ」みたいな、懐古趣味的でもあり、歴史的な事実ではないことも小説に入れ込むので、批判も多いです。

ちなみに私は、20年ぐらい前までは、埼玉から東京まで、往復2時間の電車通勤を7年ぐらいやってまして、その通勤時間に司馬遼太郎作品をおそらく100冊以上読んでました。なので、坂の上の雲や菜の花の沖なども読んだ記憶はあります。

 

ただ、内容はほとんど覚えてません。

唯一覚えているのは、「花神」という作品で、主人公の大村益次郎の奥さんが、ブチギレると手に負えなくなるため、益次郎が畑の影に隠れて、機嫌が収まるのを待っていたという、これまた本当だったのかよくわからない、エピソードぐらいですね。

うちの嫁さんも、子育てでブチギレてましたから、昔の奥さんたちもブチギレてたんだなあと、妙に納得した覚えがあります。

 

というわけで、今回は、日露戦争を含めた明治期の日本を世界史の中に入れ込んだ場合に、どんな意味があったのか?について考察していきます。

それでは、参りましょう。

 

2、19世紀はどんな時代だったのか?

まず最初に、明治が始まった19世紀が、どんな時代だったのか?について、見ていきたいと思います。

 

(参考:wikipedia「Great Game」)

 

19世紀は、産業革命がイギリスから他の欧米諸国にも広がっていて、その軍事力を使って海外の植民地獲得競争が進んでいた時期です。

特に、ロシアも近代化が進んできたことで、海洋帝国のイギリスと内陸帝国のロシアとの戦いが激化していました。

 

最強の海軍を持っていたイギリスは、ドイツやフランス、アメリカなどの海外進出を阻むことができていましたが、ロシアは内陸帝国で海軍を持つことなく、周辺の領土を傘下に収めていくことができていたからです。

そのため、海洋帝国のイギリスが、内陸帝国のロシアの拡大を防ぐという形での戦争が度々起こっていました。

 

例えば、1838~42年のアフガン戦争は、ロシアがインドまで進出してくるのを防ぐために行われたものですし、

1853~56年のクリミア戦争は、黒海に不凍港を手に入れたかったロシアの動きをイギリスが撃退した戦争でした。

 

このような戦争をロシアの西側、南側でやって、全部イギリスに邪魔されたので、残るは東しかないと東アジアに活路を見出そうとしていたのが、19世紀後半から末にかけてのロシアだったのです。

それで、1891年にロシアは、ウラジオストクで後のニコライ二世になるニコライ皇太子が、シベリア鉄道を建設すると宣言しました。

 

(参考:世界史の窓)

 

これが完成すると、モスクワやペトログラードなどの、ロシアの中心部からの物資や兵士の輸送ができるようになりますので、日本としては、

①戦争するの?

②それとも貿易関係を結ぶの?

という選択肢をぼんやりと迫られるようになっていきました。

 

(参考:wikipedia「三国干渉」)

 

そして、これがロシアは敵だ!と確定したのが、1895年の三国干渉です。

日清戦争で日本が勝利して、多額の賠償金や台湾、遼東半島などの領土をゲットできるという内容だったのですが、そこにロシア、ドイツ、フランスの3国が、それはやりすぎだろ!とクレームをつけてきたのです。

 

流石に日本も、これら3カ国と喧嘩するのはできないということで、渋々主張をいくつか取り下げたのですが、なんとその2年後に、ロシアは日本が手放した遼東半島を25年租借するという約束を中国と取り付けて、大連や旅順といった不凍港をゲットしました。

これによって、日本国内はブチギレます。せっかく俺たちが、血を流して手に入れた遼東半島の権益を口だけ出して、ネコババしやがったというわけです。

 

これで、ロシアは絶対にボコすと、日本は日露戦争の準備に入っていきます。

ロシアの高官も、日露戦争の3年前の1901年の時点で、あと数年後には日本と戦争になるだろうといってましたので、ロシアとしても、もう避けられないような雰囲気だったようですね。

 

3、イギリスが仕掛けた3つの罠

しかし、ここまでの一連の動きは、実はイギリスの関与がかなりデカかったです。

私が思うに、大きくは3つの仕掛けがあったと思います。

 

(1)日清戦争で、日本の軍国化を進めさせる

1つ目は、日清戦争で軍国化を進めさせる、ということです。

1894年7月25日に始まるのですが、そのわずか9日前に、イギリスとの不平等条約が撤廃、改正されています。

 

(参考:外務省)

 

徳川幕府時代に結ばれていた列強5カ国による不平等条約が1858年に結ばされていたのですが、イギリスが最も条約撤廃に反対するだろうと言われていたのです。

それが1番に撤廃してくれたというのは、日清戦争を起こすことが条件だった可能性が高いと思います。

 

というのも、当時の清国は、近代化も進んでおらず、政府も兵士もヘタレだったので、ロシアとガチンコで戦ってくれそうになかったからです。

だったら、ガッツのありそうな日本を強くして、ロシア拡大の防波堤となってもらった方がいいだろうということだったのでしょう。

実際、日清戦争では、多額の賠償金を手に入れましたので、使った金よりも多くもらえて、軍備に回すことができました。

 

(2)ロシアへの恐怖と憎悪を植え付ける

2つ目は、ロシアへの恐怖と憎悪を植え付ける、ということです。

実は、過去の東アジアにおける、ロシアの進出を見てみると、全てイギリスが邪魔して食い止めていました。

 

(参考:日露戦争写真集)

 

例えば、1861年のロシア軍艦による対馬占領事件や、

1885年の朝鮮の南部にある巨文島事件などは、ロシアがここに港を作ろうと占領しようとしたのですが、いずれもイギリスの軍艦が介入してきて、それを食い止めています。

 

なので、普通に考えれば、三国干渉後にロシアが遼東半島を中国から租借するなんて約束を結ぼうものなら、絶対に邪魔してたはずなのです。

しかも、日露戦争での激戦地となる旅順港は、ロシアによって要塞化までされています。こんなことを放置するなんて、過去のイギリスの動きから見れば、絶対にあり得ません。

 

では、なぜイギリスは文句を言わなかったのか?

その理由は、日本に対して、「ほったらかしてたら、あんたたちやばいよ?」という恐怖を植え付けようとしたのだと思います。

 

ただでさえ、遼東半島をロシアに取られてムカついてるところで、旅順港の要塞化ですから、このまま時間が経てば経つほど、あっちに戦争の準備をさせることになると思うのは当然です。

つまり、イギリスはロシアに進出させ、日本に恐怖と憎悪を植えつけ、戦争を焚き付けようとしたというわけです。

 

(3)アメリカの棍棒ヤクザ化(帝国主義化)

そして、3つ目は、アメリカの棍棒ヤクザ化です。

1870年代の日米関係は、イギリスというキッショい植民地主義政策を嫌ってました。

 

そのため、

①他国に攻め込んで、資源をぶんどるのではなく、

②自国の産業を育てて貿易する、

という②つ目の方向を歩もうとしていました。日本で代表的なのが、伊藤博文です。

 

(参考:wikipedia「セオドア・ルーズベルト」)

 

ところが、アメリカも貧富の格差が広がってきて、金持ちがイギリスの貴族と仲良くするようになってきました。

そこで出てきたのが、こちらの棍棒ヤクザのセオドア・ルーズベルトです。

 

こいつは本当にどうしようもない人間で、海軍次官時代に部下をけしかけて、キューバとフィリピンに戦争を仕掛けて、アメリカを帝国主義国家に引きずりこみました。

さらに、マッキンリー大統領が1901年に暗殺されるのですが、その後にこいつが大統領になって、戦争最高!戦争最高!と日露戦争を煽りまくりました。

 

以前のアメリカであれば、日本が帝国主義的な方向に傾き始めたら、そっちの道は危ないよ、イギリスの言うことを信じちゃだけだよ、とアドバイスももらえたのでしょうが、棍棒ヤクザがしっちゃかめっちゃかにしていったので、日本も軍備拡張の波を止められなくなったんですね。

 

(参考:wikipedia「ポーツマス条約」)

 

それで、日露戦争は結局、日本が勝ったと言うことにはなってますが、日露双方の犠牲者が大量に出て、お互いボロボロになって終わりました。

イギリスからすれば、ロシアの弱体化ができて、しかも、日英同盟で日本に金を貸して弱みを握ることもできました。

 

この時に戦費が拡大して、日本の対外債務は4倍に膨らんでいます。

賠償金はもらえず、領土をもらっただけです。貧乏なくせに、土地だけ増えたので、日比谷焼打事件などの暴動も起こっています。

 

なので、日露戦争は勝利したと言われてますが、全く勝ってないのです。

小説「坂の上の雲」は、戦争の描写が非常に詳しく描かれているので、その後のポーツマス条約でのボロボロ具合はあまり印象が残っておらず、それこそ、日露戦争に奇跡的に勝てた日本って、凄かったんだね!みたいな感じが、大方の人の記憶に残っているイメージだと思います。

さらに、司馬先生は、それ以降も、その後の1939年に起こったノモンハン事件が本当に酷かったみたいな言い方をしょっちゅうしてたので、その比較として、明治期は良かったみたいなイメージにもなっています。

 

しかし、それはちょっと違うだろ?と。

単に、明治時代って、イギリスにいいように乗せられただけだったんじゃね?としか思えないなあと言うのが、正直なところです。

 

また、この日露戦争が終わった後の1910年に、日本は韓国を併合するわけですが、これもイギリスによる仕掛けがあった可能性が高いです。

日露戦争後のイギリス外務省の高官同士の手紙などをみると、朝鮮は国としての体をなしてないから、日本に任せた方がいいみたいなことが度々書かれており、ロシアの進出をここで食い止めるために、韓国をロシア向けの防波堤にしろと言うことだったのでしょう。

 

「日清戦争後に独立した韓国の状況を見ていると、韓国の政治家に統治能力がないため、此処10年の韓国は名目上の独立国に過ぎず、このまま独立国として維持されるのは困難である」

(参考:wiki「韓国併合」)

 

また、伊藤博文は、1909年にハルピンで安重根に暗殺されたと言われていますが、これは嘘のようです。

この暗殺現場にいた室田義文(よしあや)という人が、当時の模様を残しているのですが、安重根は伊藤博文の顔を知っておらず、髭を生やしてたおっさんという特徴だけ知らされていたので、違う人に銃を撃ってたようなんですね。

 

(参考:歴史逍遥「しばやんの日々」)

 

また、伊藤博文の傷口は、肩から胸にかけて撃たれたものであり、弾丸も短銃ではなく、こちらのようなフランス製の騎馬銃によるものだったらしく、2階からの狙撃だったようです。

 

この点について、本に残ってますので抜粋しますと、

「伊藤の受けた弾丸は、いずれもフランスの騎馬銃の弾丸で、三発であったが、その第一弾は肩から胸部乳下にとどまり、(中略)何にもせよ、右肩から斜め下に撃つには、如何なる方法によるも二階を除いて不可能である。」

(参考:歴史逍遥「しばやんの日々」室田義人翁譚)

以上です。

 

まるで、安倍元首相の狙撃事件とそっくりだと思うのは、私だけでしょうか?

では、誰がやったのか?というと、それはおそらく、軍部か、イギリスまたは、棍棒ヤクザのアメリカあたりからの指示だともいます。

 

(参考:wikipedia「伊藤博文」)

 

伊藤博文は、イギリス的な植民地主義が嫌いな人だったので、このまま韓国総督になってしまうと、まともな政治をやってしまって、軍国化の邪魔になると思った輩がいっぱいいたのでしょう。

これ以降、日本の軍国化の歯止めをかける人は、ほとんどいなくなっていきました。

 

というわけで、ここまでをまとめると、こんな感じになります。

という感じでしょうか。

 

司馬先生は、坂の上の雲を書くにあたって、日露戦争や明治時代の関連書籍を買い漁ってたらしく、神保町の古書店街から、関連する古書がほとんどなくなったという伝説があります。

そんな話を聞けば、書かれている内容も間違いないだろうと思ってしまいます。確かに、戦争に関する描写はかなり細かかった記憶があります。

 

しかし、そこに力を入れてる割には、そもそもなぜ日露戦争が起こってしまったのか?についての説明は、日本とロシアの関係でしか描かれてなかったはずです。

司馬史観の罪は、海外と日本との関係をあまり詳しく考察せず、明治最高!昭和最悪!みたいな感じにしてしまうことで、明治期に起こっていた、イギリスによる対日工作を隠してしまったことだと思いますね。

 

 

この本で明治時代を美化して満足しちゃったままで終わった人は、結構いたと思いますね。

なので、司馬遼太郎作品は、そういう海外の影響が少なかったであろう、江戸時代までの作品で楽しむのがちょうどいいのかなと思います。

大正、昭和期については、また改めて考察していく予定です。

この記事を書いた人
ゴトウ

証券会社で12年間勤務。営業と店舗マーケティングに従事後、2018年から当サイト「イエ&ライフ」を運営しています。

不動産価格の動きの理解や今後の予想は、金融マーケットの知識があると理解しやすいため、読者のお役に立てるのではないかと、サイトを運営しています。

また、2024年からYoutubeチャンネルも始めました。
こちらも、よろしくお願いします。

ゴトウをフォローする
youtube原稿
タメになったと思ったらシェアしてくれるとウレシイです

コメント