この記事では、「お金とは何か?」「お金の本質とは何か?」について、アメリカの作家アイン・ランドの著作「肩をすくめるアトラス」の中の文章をご紹介します。
昨年は、ビッグモーターや損保ジャパンの不祥事が大きな話題となりました。
それ以外にも、ジャニーズや吉本興業、今年に入ってからは、小学館や日テレなどの不祥事がSNS上で大きな話題となっています。
一般の人たちの、これらの企業の不祥事に対する反応は、
「お金のためなら(お金さえあれば)、何をやっても許されるのか?」
「お金のためなら(お金さえあれば)、他人を平気で奴隷扱いしたり、喰い物にするような会社(組織)が存在してもいいのか?」
という疑問や憤りが多いように感じます。
このような名のある企業や組織の不祥事をたびたび目にしてしまうと、「お金儲けに走ることは汚いことだ」と感じつつも、「でも、お金がないと生きていけないし、、、」みたいな、相反する気分になってしまいませんか?
ですが、そもそも「お金」って何なのでしょうか?
この点について、いろいろな人や金融機関が解説しています。それらの説明は、読めば何となく理解できるのだけれど、それを知っても、「これからどう生きていけばいいか?」「どう行動すればいいか?」といったことがわかるわけではありません。
そのような時にオススメなのが、アイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」という本に書かれている「お金とは何か?」の議論です。
この動画では、ほとんどの人が目にしたことのないであろう、この部分について、詳しく解説していきたいと思います。
1、アイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」とは?
アイン・ランドは、1930~50年代に活躍したアメリカの作家で、代表作として「水源」「肩をすくめるアトラス」などがあります。
ロシア生まれのユダヤ人で、共産主義時代のソ連時代のロシアからアメリカに亡命し、アメリカで作家として成功しました。
特に「肩をすくめるアトラス」は、アメリカの高校生に無償で寄贈されている本とのことで、アメリカ国内でも、かなりの影響力のある本として知られています。
出版された1957年から1984年までに発行部数は500万部を超えました。
また、2008年のリーマンショックが起こったときも、この本を読む人が増え、2009年には50万部以上、2011年にも44万部が売れました。
アメリカ人が経済的な苦境に陥ったときに、基本に立ち返るための書籍として、この本が大きな存在感を持っていたのです。
2、「お金とは何か?」その本質的な議論について
リーマンショック後に、この本があらためて読まれた理由は、マネーゲームによる株式バブルが崩壊したことで、本当の意味での「お金とは何か?」「お金を稼ぐということは、どういう意味があるのか?」について、考える人が増えたためだと思います。
そして、おそらくこの本が60年以上も長く読まれているのは、この「お金とは何か?」についての議論が、とても納得のいくものであり、人々を勇気づけてきたからだと思います。
ですが、全部で全三巻で、1,800ページ近くもあり、この「お金とは何か?」という議論は、二巻の120ページあたりにあるため、日本では、そもそもこの本を読んだ人はあまりいないでしょうし、語っている人も見たことがありません。
なので、ここからは、この一連の議論についての文章を抜粋しつつ、少しずつ解説(というか、私の解釈)を入れていきたいと思います。
ここから本題の「お金とは何か?」についての議論の解説です
この議論は、ニューヨークの富裕層が集まるパーティの中で、大企業家のフランシス・ダンコニア氏が、ある貴婦人に対して、「お金とは諸悪の根源だ」という議論に対する反論を行うところから始まります。
この部分は、かなり長いので、重要な箇所だけをいくつか抜粋してご紹介します。
①なぜ、お金が価値を持つのか?
1つ目は、「なぜ、お金が価値を持つのか?」という議論です。ここからが、抜粋です。
「お金の根底にあるのが何かを考えたことがありますか?
お金は生産された商品と、生産する人間なくしては存在しえない交換の手段です。お金は、取引を望む人間は交換によって取引し、価値のあるものを受け取るには価値のあるものを与えなければならない、という原則を形にしたものです。
お金はあなたの商品をねだるたかり屋や、力づくで奪う横領者の道具ではありません。お金は生産する人がいてはじめて機能するのです。
これがあなたがたが諸悪の根源と考えるもののことでしょうか?」
まず最初に、お金がなぜお金として、価値を持つのか?についての議論です。
お金があっても、買えるものがなければ、それはただの紙切れです。
ということは、お金で買える商品やサービスが存在しなければ、そして、それらを作る人がいなければ、お金は存在しないと言うことになります。
例えば、団塊世代全員が後期高齢者になる、2025年問題が騒がれていますが、これからさらに社会保障費が上がります。
その一方で、株価は上がっていますから、金融資産を多く持っている高齢者ほど、資産が増えてきました。
このような状況の中で、もし、働いている人がさらに税金を取られるようになれば、アホらしくて働かなくなる人も増えるかもしれません。独身者が増えていますので、実家で暮らせばいいわけですからね。
ところが、そうすると、生産者がいなくなります。
お金は、商品やサービスと交換できるからこそ、価値があるのに、その商品やサービスを提供する人がいなくなれば、意味をなさなくなります。
ソ連が崩壊したのは、このように、頑張っても、どうせ報われないと思う人が増えたことで、商品やサービスの量が減り、お金が意味をなさなくなり、経済が回らなくなったからです。
アイン・ランドは、そのようなソ連での実体験から、お金に対して、このような見方を身につけたのではないかと思います。
②なぜ、商品を作る人が存在するのか?
2つ目は、「なぜ、商品を作る人が存在するのか?」という議論です。ここからが、抜粋です。
「仕事の代償として金銭を受け取るとき、人はそのお金を他人の労力の産物と交換できるという確信があってはじめてそうするのです。
お金に価値があるのはたかり屋でも横領者でもない。涙で海を満たしても、世界の銃をかき集めても、財布の中の紙切れを明日をしのぐパンに換えることはできません。
その紙切れは本来金(ゴールド)であるべきだが、ある名誉の象徴~生産する人間の活力を求める権利なのです。あなたの財布は、世界のどこかにお金の根源たる道徳律をおかさない人間がいる、という希望の証だ。
これが、あなたがたが諸悪の根源と考えるもののことでしょうか?」
はい、ここまでです。
では、なぜ、人は商品やサービスを作るのでしょうか?
それは、その商品やサービスを売って手に入れたお金で、誰かが作った別の商品を買えると信じているからです。
わたしたちは、漠然と「お金がないと生きていけない」「お金があれば何でも買える」と思ってしまいがちですが、このお金に対する信頼は、自分以外の誰かが、いろいろな商品を作ってくれる、という信頼につながっている、ということに気づかされます。
③お金の根源=人の思考
3つ目が、「お金の根源とは、人の思考だ」という議論です。ここからが、抜粋です。
「生産の根源を追求したことがありますか?
発電機をみて、野蛮人が力まかせに作ったものだと言ってごらんなさい。小麦の栽培を最初に考え出した人が残した知識なしに、種の一粒でも育ててみることです。体を動かすだけで、食料を手に入れてみることです。
そうすれば、人の思考が、あらゆる生産物と、この世に存在したあらゆる富の根源だとわかるでしょう。」
これまで、お金とは、商品やその商品を作る人がいなければ、存在しないということを確認してきました。
では、その商品とは、どのようにして作られるのか?
それは、生産者がいろいろと試行錯誤をして、作るわけです。より良い形にするため、より良い味にするため、より多くの生産をできるようにするため、などなど。
いろいろな条件を満たすような商品を作るには、頭を使って、いろいろ試して、改良を加えて行かなければいけません。
つまり、お金とは、交換できる商品がなければ価値を持たず、その商品は、人の思考を通じて作られるのですから、「お金=商品(富)=人の思考」だと言えます。
④取引は、WIN-WINの関係でなければ成り立たない
4つは、「取引とは、お互いにメリットがあるからこそ、成立する」という議論です。ここからが、抜粋です。
「お金は、商人同士が互いの利益になると自主的に判断したときにだけ、取引を成立させます。
お金の存在によってあなたは、人は自分を傷つけるためではなく豊かになるために、損失ではなく利益のために働くと認識せざるを得なくなります。
それは、人は不幸の重荷を担ぐ(かつぐ)ために生まれた動物ではなく、相手には傷ではなく価値を差し出さねばならず、人間の絆は苦悩の交換ではなく良いもの(グッズ=goods)の交換だという認識です。」
はい、ここまでです。
取引とは、売る側と買う側の合意の上で、成り立つものですから、お互いが「自分にとって得だ」と思わなければ成立しません。
売る側は利益が出ないのに売ろうとしませんし、買う側は満足できないものを買おうと思いませんからね。
このような取引を続けていくと、どうなっていくでしょうか?
まず、取引をすればするほど、得をする人が増えるため、社会としては豊かさが増えて行くはずです。
また、より良い商品・サービスを作る企業や個人が、長くビジネスを続けることができるようになるでしょう。
⑤お金はどうやって稼いだのか?が大事
そして、最後の5つ目が、「お金はどうやって稼いだのか、が大事」という議論です。では、参りましょう。
「お金は生きる手段です。その命の泉にあなたが下す判決は、人生に下す判決なのです。
泉を腐敗させれば、あなた自身の存在をののしることになる。
あなたは詐欺でお金を手に入れたのですか?
人の悪癖や愚鈍さにつけこんで?
おのれの能力が値する以上のものを愚か者の求めに応じて?
おのれの基準を下げて?
馬鹿にしている客のためにさげすんでいる仕事をして?
だとすれば、あなたのお金は、一瞬の、1セント分の喜びもくれないでしょう。
そして、あなたが購う(あがなう)ものはすべて、あなたへの賞賛ではなく非難に、業績ではなく恥の記憶となる。
やがてあなたは、金は邪悪だと叫ぶようになる。それが自尊心の代わりにならないから邪悪だと?堕落を楽しませてくれないから邪悪だと?
これが、あなたがたがお金を憎悪する原因ですか?」
はい、ここまでです。
ここまで、お金という存在が持っているルールを見てきましたが、そのルールを破ってお金を手に入れても、自尊心が満たされない、ということですね。
例えるなら、
- カンニングをして東大に入学した人
- トランスジェンダーを自称して、女性の大会で無双して金メダルをもらった選手
とかが、そうでしょう。
ルールを破って、ズルをして、手に入れた肩書きや、タイトルが、自分の自尊心を満たしてくれるのか?ということですね。
むしろ、そんなズルをして手に入ってしまったことへの後ろめたさや、満たされない自尊心を拗らせて、「お金なんて汚い」とか、「東大なんて、大したことは無い」とか、思いながら、生きていく人生になってしまうというわけです。
まとめると、
というわけで、「お金とは何か?」についての議論の中で、大事だと思うポイントをご紹介しました。
まとめると、
- お金とは、商品とその商品を作る人がいなければ、存在意義を失う
- お金を稼ぐと言うことは、相手に価値を提供することで得られる対価であって、我慢や犠牲、憐みによって受け取るものではない
- 商品とは、より良いものを作ろうと試行錯誤をした結果できるものであり、人の思考が源泉となっている
- このようなプロセスで稼いだお金は、誇らしいと思うのが当然であり、「お金持ち=悪」みたいな考え方は間違っている
という感じでしょうか。
このように、お客さんにとって良い商品やサービスを必死になって作って、正々堂々と売って利益を得る、ということが、お金(を稼ぐこと)の本質というわけですね。
3、なぜ、このように思えないのか?
ですが、ここまでの内容に、「現実とかけ離れている」「説教臭い」「キレイゴトだ」「自分には無理」と感じた人もいると思います。
では、なぜそのように感じてしまうのでしょうか?
理由は、大きく2つあると思います。
(1)そもそも、属している世界が違う
1つ目の理由は、人間世界には、2つの相反する価値観があって、どちらの世界に属しているか、見えているかによって、まったく見え方が違ってしまうからです。
ジェイン・ジェイコブズという作家の著作に「市場の倫理・統治の倫理」がありますが、その中で、人間は生きていくために、大きく2種類の暮らし方をしていると言います。
それは「取る」ことと「取引する」ことです。
これらの2つの暮らし方によって、人は異なる価値観を持つ(何が称賛されて、何がイケてないのかを学ぶ)と言うのです。
これをわたしなりにまとめたものが、こちらの表です。
特に、会社に勤めているサラリーマンの方は、自分が左側の「取る」価値観に近いことに気づくと思います。
そもそも、会社の中の組織が、社長、上司、部下、といった階層性になっていますからね。
特に、安定していて人気の大企業ほど、組織が大きくなるため、階層性のピラミッドの力学、つまり「取る」価値観が働きやすくなります。
例えば、
- 上司の命令は絶対
- 拒否できない転勤
- お客さんよりも会社の利益優先
- ガマンが美徳、サビ残は隠れてやれ
- 派遣や契約社員は、都合の良いところで切ればいい
などの企業文化を持っているところも多いと思います。これらの要素は全て、「取る」価値観の持つ性質なのです。
そういう組織では、末端の人間だけが、しんどい思いをすることも多々あります。
安定とは、会社が安定しているだけで、その安定を作るために、社員が苦しい思いをしなければいけないのです。
(2)売れる商品・サービスを作るのが難しい
2つ目が、売れる商品・サービスを作ることが難しくなっているためです。
「肩をすくめるアトラス」が出版されたのは、1957年ですが、この小説に出てくる一流の起業家の多くが、鉄鋼業や鉄道、銀行などの、いわゆる重厚長大と言われる産業ばかりです。
日本の高度成長期も「良いものを作れば、売れる」という時代でした。
洗濯機や車、テレビ、クーラー、冷蔵庫など、今なら当たり前にあるものが、なかった時代ですからね。
このような時代であれば、 良いものを作ろうとする対象が明確にあるため、頑張ろうという気になれる人も多かったと思います。
ところが今はどうですか?
何を作れば売れるとか、できるできないは別としても、イメージできますか?
ほぼ日手帳で有名な、糸井重里さんという方がいますが、この方が1988年に西武百貨店の広告で使ったキャッチコピーが「ほしいものが、ほしいわ。」でした。
すでに、今から35年以降前には、消費者には、自分が欲しいものが何なのかが、分からなくなっていた、ということがわかります。必要なものが全部揃ってしまったからです。
このような状況では、いいものを作ったつもりでも、ハズレてしまう商品や会社が続出します。
そういう、難しい状況になっているため、企業も「外れた時のために、お金を貯めておこう」「従業員の給料は、なるべく低めに抑えておこう」「今のうちに、早期退職を募集しておこう」となってしまいます。
また、売れている商品も、かなりの低価格が進んで、大企業しか入りにくくなっています。
例えば、
- 洋服はユニクロやGUで十分な人は多いでしょうし、
- 食事も冷凍食品やレトルトが進化しています
- ゲームなら、ソシャゲが無料でできますし、
- アニメや映画、ドラマも、月1,000円も出せば、動画サービスで見放題です
こんな状況で、一体、何を作れば売れるのか?普通の人であれば、詰んでしまいますよね。
その結果、個人で何かを行うことは無理と諦めてしまって、大きな会社や公務員になって安定を求めてしまうものの、「取る」価値観に違和感を感じて、モヤモヤしてしまう、、、
というサイクルに入ってしまう人が多いのでしょう。
4、最後に
最後に1つだけ、こんな詰んだ状態から抜け出す方法について、現時点の私の考察をご紹介します。
大企業が低価格で、高品質な商品を提供してくれている現在、「お客さんに対して、価値あるものを提供して、対価をもらう」ということのハードルは、ますます高まっています。
では、まったく方法がないのか?というと、そういうわけではありません。
個人だからこそ、一人の人間だからこそ、お客さんが心の底から求めているものを提供できるチャンスがあると思います。
それは、関係性です。
恋人、友達、親友、家族、仲間、近所のお兄さん、推しメン、話し相手、愚痴を聞いてくれる人、バカ話に付き合ってくれる人、などなど、そういう関係性を多くの人が求めていると感じます。
というのも、2010年以降、新しい商品やサービスのインパクトよりも、Vチューバーや、ユーチューバーなどの、新しい役割を持った「人」や「キャラ」のインパクトの方が、大きくなっているような気がしませんか?
もし、アイン・ランドが考えるような、自尊心を持って、お金を稼ごうとするならば、そして、個人で戦おうとするならば、お客さん(?)との関係性をどう作るのか?を考えるべきなのかなーと思っています。
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