日本の保守思想とは何か?日本人が残してきた文学の歴史から、日本の絶対領域を考察 | イエ&ライフ

日本の保守思想とは何か?日本人が残してきた文学の歴史から、日本の絶対領域を考察

youtube原稿

今回の動画は、「日本の保守思想とは何か?日本人が残してきた文学の歴史から、日本の絶対領域を考察」ということで、やっていきたいと思います。

 

1、はじめに

前回の動画では、英米仏でキリスト教が若い世代を中心に復活しつつあることについて解説しました。

フランスでは洗礼を受ける人が、前年比で45%も増えていたり、アメリカでも週1回の教会に通う人の割合が、特に男性において、30%から45%へと急増していたりと、特に昨年のトランプ政権発足以降において、検閲が減って、ポリコレ圧力が減ったことの影響が見られているように思います。

 

(参考:YouTube)

 

そうなると気になるのは、じゃあ日本はどうなのか?ですよね。

2/8の解散総選挙で、保守政党の自民党が圧勝したんだから、日本でもリベラル的な風潮から、保守的な考え方にシフトしていっても、おかしくなさそうです。

 

(参考:BBC)

 

昨年の参院選で、参政党が躍進したのも、今までのグローバリズム一辺倒の考え方は間違いだったのではないか?もっと、日本人が持ってる固有の価値とか、そういうものを復活させるべきではないか?と考える人が増えているからでしょう。

ですが、欧米各国のように、それって宗教への回帰なのか?というと、そうではないように思いますよね。じゃあ、それって具体的にどんなものなのだろうか?ということを考えるのが、今回の動画のテーマになります。

それでは、参りましょう。

 

2、保守とは何か?

まず最初に、そもそも、保守とは何なのか?ということについて、ちょっと整理したいと思います。

 

人間は自由であることが最高なんだ!

そのためには、好きなことをやるためにも、金が必要だ!

金を稼ぐには、競争しなきゃいけないし、勝つためなら法律をおかさなければ何やってもOKだよね?

グローバリズム万歳!

 

みたいな状況に、多くの人がウンザリしているということで、その反対側の価値観ということで、保守と言われる価値観を見直す動きが出ているのだと思うのですが、では、この保守思想というのは、具体的にどんなものなのでしょうか?

 

(参考:Wikipedia)

 

保守主義という言葉をwikipediaで調べてみると、伝統的な慣習や体制を重視する立場とは書かれているものの、重視する対象は、国や時代、人によって異なるようです。

例えば、現在の自民党政治や、大企業のやりたい放題を守ることだって、今まであったものを守るという意味では、保守主義の立場になりますし、もっと前の戦前の教育勅語の精神を復活させるんだ!というのも、保守主義です。

 

または、地方の文化や伝統を復活させるなんていうのも、保守主義と言えるでしょう。

こんな感じで、何を守りたいのか?復活させたいのか?は、人それぞれなのですが、大事にしたい対象は違っても、共通する姿勢のようなものがあると言います。

 

それは、

①ゆっくりと変えていくということ

②人間は過ちを犯すし、完全ではないと捉え、謙虚な振る舞いをするということ

③パッと見で良さげな理屈や都合の良い話、例えば、「全ての国民が平等な、パラダイスみてぇな国をつくりてぇ」みたいな、ユートピア的な話を信用しない

などが挙げられます。

 

なので、口だけの詐欺師みたいなコンサルとか、そういうことを信じる経営者や政治家とかは、保守主義ではないということになるでしょう。

 

相対評価の社会からの避難先としての保守

そして、もう1つ、現在保守的な思想とか、立場が求められている視点が、他にあると思っていて、それは相対評価から身を守るということです。

 

(参考:YouTube)

 

これはどういうことかというと、現在の社会は、SNSやIT技術の発達によって、ありとあらゆるものが、数値化されて、可視化されて、他者と比較されるようになっていますよね。

いいねやフォロワーの数で、他人と比較して喜んだり、凹む人が生まれているのは、SNSが普及したからです。昔はこんなことで思い悩むことなんてありませんでしたから、他人との比較の機会が大幅に増えたということなのでしょう。

 

美容外科医で、YouTubeもやってる高須幹弥先生も、男受けしなさそうな整形をする女性が増えているのは、女性同士で張り合ってるからだと言ってました。

キャバクラで働いているお姉さんが、他のライバルがこういう整形をやったらしいと聞くと、じゃああたしもやらなきゃ!ということで、どんどんエスカレートしているというのです。完全に病んでますよね。

 

また、婚活系の動画を見ると、30代後半にもなって、年収800万円以上の男じゃなきゃダメ!みたいなこと言ってても、誰も相手してくれないよ、みたいな感じの動画をけっこう見かけます。

婚活では、男は年収、女は年齢でジャッジされるという話なのですが、これも男女の価値が、数値化され、可視化されてしまっていると言えるでしょう。

 

こんな目でばかり、評価され続けてたら、そりゃあ、気も狂いますよね。

なので、こういう他人との比較という、相対評価の世界から、そんな比較をされないで済む、絶対評価の世界へと逃げたいという欲求があるのだと思います。

その点、欧米の、特に若い人にとって、教会という場は、年収とか年齢とか、そういうことを考えずに済んで、気にせずに接してくれる人がいる集まりとして、期待されているのではないかと思います。

 

3、日本の保守とは何か?

そこで問題になってくるのが、日本です。

日本人の多くは、仏教や神道などの特定の宗教を信じるわけではなく、何となく盆には墓参りに行って、正月には初詣に行って、みたいなことをやってるわけですが、特定の宗教を信仰することに対する、コレジャナイ感を持っていると思います。

 

宗教といえば、統一教会やオウム真理教のイメージを持ってる人もいるでしょうし、戦前、戦中の天皇崇拝とか、軍国主義的な空気を歴史で教えてもらっているので、何か1つの存在を強烈に信じるということへの抵抗感があるのではないでしょうか?

少なくとも、私には、そういうところがあると思っています。

 

(参考:アマゾン「日本文学史序説」)

 

そこで、何か参考になるものはないかなと思って、思い出したのが、こちらの書籍です。

加藤周一先生の「日本文学史序説」という本で、古くは17条の憲法や万葉集の時代から、昭和の三島由紀夫のあたりまでの、日本人が残してきた神話や日記、説話、芸能、小説などの、文章で描かれてきたものを見ていきながら、日本人は何を書いてきたのか?何を考えてきたのか?を考察しています。

 

上下巻でちょっと長いことと、それぞれの作品を一部抜粋しながら文章が進んでいくので、昔の文章や仮名遣い、漢詩などを読むのに随分と苦労しそうなイメージがあると思いますが、私はその辺の引用された文章はろくに読めなかったので、だいたいすっ飛ばして、加藤先生の考察部分だけ読み進めてました。

日本人ってこんなことを考えて生きてきたのか!という発見もありますし、歴史的な流れとして見ることで、何が変わって、何が変わらないのか、そういう本質的なことも見えてくるので、非常に興味深いです。

 

 

個人的に、一番印象に残っていたのが、鎌倉時代の初期に書かれた、建礼門院右京大夫集からのエピソードです。

建礼門院とは、平清盛の次女で、高倉天皇の中宮のことを指します。この偉い人に仕えた女房が、建礼門院右京大夫という人で、その人が残した歌集になります。

 

平家はその後、源氏との戦争で負けて滅亡するわけですが、この建礼門院右京大夫も、京都の貴族としての生活を追われて、京都の市街地から遠く離れた山奥にある、寂光院というお寺に逃げ込みます。

その時に残した歌が、

「月をこそながめなれしか星の夜の 深きあはれをこよひ知りぬる」

というものでした。

 

月を眺めるのになれていたけど、星空がこんなに綺麗だなんて、今夜はじめて知ったよ、みたいな意味でしょうか。

平安貴族にとって、夜空といえば月であり、花といえば桜でした。

 

歌の良し悪しで、出世やモテが決まる社会だったので、そういう文化的な、決まり事の中で生きていたのです。

なので、夜空を見上げれば、今日の月は歌に詠めるかとばかり気になって、星がどうかなんて、全く興味がなかったというわけです。

 

ところが、そんな貴族社会が、平家が敗れて、源氏の世になって、京都も焼かれて全部なくなってしまいました。そうなって初めて、夜空の星の綺麗さに気付いたというのです。

この歌の前に詞書という、説明文のようなものがあるのですが、そこに、綺麗な星空を「こよひはじめて みそめたる心地」がしたと書かれています。

つまり、彼女は、夜空といえば月という決まりごとの社会が崩壊した後に、初めてあるがままの自然の星空を見ることができるようになった、というわけです。

 

この話を読んで思い出したのが、進撃の巨人というマンガでした。

この中で、意識を持たない無垢の巨人として、ただただ獣のように、朦朧とした状態で、60年以上彷徨っていたユミルが、たまたま食べた人間が、巨人の能力持ちだったということで、数十年ぶりに自我を取り戻すという件があります。

 

60年ぶりに、自分の意識が戻った。その時に見た満天の星空への感動が、まさに、建礼門院右京大夫が発見した星空に対する感動と似ているように思いました。日本人の感性は、おそらく、それほど変わっていないのです。

なので、この加藤先生の著作を読むと、昔の人たちの考えていたことが、非常に共感しながら読み進めることができますし、今の日本人につながるヒントや気づきがあるような気がします。

アマゾンのリンクを貼っておくので、興味のある方は、一度チェックしてみてください。

(参考:アマゾン「日本文学史序説」)

 

日本人は、文学で何を残してきたのか?

それで、日本がこれまで1000年以上、誰が、誰に向けて、何を書いてきたのでしょうか?

加藤先生は、この本の最初の章で、この点についてまとめてくれています。

 

①内輪ネタで、表現方法やセンスを磨く

1つ目は、多くの文学ジャンルは、ある特定の社会集団における、ごく狭い話題について書かれていたということです。

例えば、平安文学は、平安時代の貴族向けに書かれたものであり、題材も貴族の生活を中心としたものでした。農民の生活を憂うとか、そんなものはほとんどなく、ひたすらに読み手の貴族が楽しめる内容のものを書き続けたというのです。

 

 

これは、その後も傾向は変わらず、鎌倉から室町にかけての五山と呼ばれる、禅宗の寺の中で書かれていた漢詩文においても、話題となるのは禅の解釈の話や、僧侶の日常生活、上流武士との交流の模様などのレベルで、庶民の生活ぶりについての話はほとんどなく、基本的には寺から一歩も出ずに書かれているような内容だったと言います。

江戸時代も、漢詩文は官僚化した武士階級向けに書かれ、洒落本などは、都市の経済を支配した町人階級むけに書かれました。

 

特に洒落本においては、吉原などの遊女の話がほとんどだったといいます。

つまり、今で言えば、なろう系小説みたいなノリが、ずっと続いていたのです。

異世界に転生した俺が、ファンタジーの世界で無双するみたいな話が、それこそ何百、何千とつくられていますが、江戸時代の洒落本だって、吉原であの遊女との惚れた腫れた、みたいな話しか書かれていなかったのです。

 

じゃあ、その結果どうなったのか?というと、みんなが限られた範囲の、狭いテーマで一生懸命やっていくため、表現方法などのセンスの部分が磨かれていったというのです。

日本のお笑いも、日常をネタにどう面白くボケるか、ツッコめるかという表現とか、センスと言われる部分をひたすら磨いている印象がありますが、

こんな感じで、その時代その時代において、自分が所属する集団に対する、内輪ウケを狙った、狭いテーマで、ひたすらセンスや表現方法を磨いてきたのが、日本の文学だったんですね

 

②抽象的なものは無視して、具体化へ

2つ目は、日本人の世界観は、抽象的、理論的ではなく、具体的、現実的な思考への傾向が見られるということです。

日本は昔から、海外からの思想を輸入してきました。仏教、儒教、キリスト教、そしてマルクス主義と、世界を絶対的な法則によって説明しようとする思想です。

 

(参考:wikipedia「本地垂迹」)

 

例えば、仏教は仏、キリスト教は神、儒教は天または理、そしてマルクスは歴史です。

これらの超越的な存在が、世界を動かしていると考えるのが、これらの思想ですが、日本では、そのような全体感のある思想としては受け入れてきませんでした。

 

世界を一つの考え方で説明が可能だとする立場をとると、それ以外の考え方が入ってくる余地がなくなります。

例えば、世界はキリスト教でできていると信じると、仏教が入ってくる余地がない、といった感じです。ポケモンやってるのに、同時にスーパーマリオをやれるわけないだろ?というわけです。

 

しかし、ご覧の通り、今の日本ではお寺にも行けば、クリスマスも祝うし、ハロウィンでは仮装する人もいます。なんでもありなのは、1つの体系的な世界観を受け入れる人がいないからでしょう。

スマブラなら、ピカチュウとマリオで一緒に遊べるから、それで手を打ってくれよ、というような、

ゲームシステムとかいう、抽象的な世界観みたいなものは全部無視して、具体的なキャラだけを愛でる、みたいな感じでしょうか。

 

昔の日本人もそんな感じでした。

初めて仏教が来た時に、仏教が正しいとしたら、神道の神様はどうなるの?という疑問に対して、神道の神は、仏が日本に来るときに神の姿になってきているんだから、神社にも仏を置いとこうぜということで手を打ちました。

(参考:wikipedia「本地垂迹」)

 

世界観がどうのこうのという抽象的な話ではなく、神と仏という具体的なキャラをどっちも共存させることで、なんとなくやってきたんですね。

 

 

また、鎌倉時代に起こった仏教の中に禅宗がありますが、これは室町時代に、水墨画と詫びの茶道に変わったのだと言います。つまり、禅という抽象的な教えから、美術、茶道という具体的な行為へと変わったというわけです。

このように、海外から来た抽象的なものをなるべく具体化させること、そして共存させることに重きを置いてきたのが、日本という国だったんですね。

 

では、なぜ日本人が抽象的なものよりも具体的なものを好むのか?というと、それは、日本の風土の影響がデカかったっぽいですね。

四季もあれば、地震や津波もあるという、常に変化にさらされる国だったので、絶対普遍の変わらない真理とか、そういうものにリアリティを感じなかったのでしょう。

 

4、日本の保守(原点)回帰とは何か?

というわけで、ここまで日本の文学という視点から、日本人の特徴について見てきましたが、これが現代の日本人が保守(原点)回帰するとした場合に、意味するところは何でしょうか?

私が思うに、それは狭い、具体的なテーマを扱う表現者が、たくさん共存できる国として、さらに拡大する余地があるということだと思います。

 

 

それは、現在の日本のコンテンツ産業を見ればわかりますよね。

漫画、アニメ、ゲーム、YouTube、TikTokの動画などなど、本当に多くの人たちが、いろいろなテーマで参入していますし、それで生計を立てれる人が増えていると思います。

 

皆さんもいろいろなYouTubeの動画を見かけると思いますが、私も、年を追うごとに、こんなジャンルが成立するんだ!とビックリするようなものに出会っています。

例えば、

全国の廃墟とか、廃れた街を旅行する人とか、

キャンピングカーで日本一周している人か、

口コミが最悪な店だけをレビューする人とか、

エロい格好でピアノを弾く人とか、

本当に次から次へと、新しいジャンルが生まれているように思います。

 

これまでの日本は、テレビ局が偉そうにしてたために、限られた番組や情報しか受け取ることができなかったため、表現者の生計を立てる余地も限られていましたが、それも今はネットやSNSが広がってきたことで、多くの人にチャンスが生まれています。

そして、日本は昔から、多くの文学ジャンルを成立させてきましたし、雅楽や能楽、歌舞伎、人形浄瑠璃、百人一首、短歌、俳句、などなど、何百年も前の芸能が今も成立するぐらい、表現者に対する寛容性が高い国です。

 

なので、これからも流行り廃りはあるでしょうが、生計を立てれる人、立てようとする人は、これからも増えていくと思います。

それと、最初の方で、保守思想が持つ共通点について、3つご紹介しました。

①ゆっくりと変えていくこと

②人間は過ちを犯すものとして、謙虚に振る舞うこと

③パッとみで良さげな理屈や都合のいい話に飛びつかないこと

の三点でした。要するに、地に足をつけて、コツコツやるということです。

 

私も現在、YouTuberとして、動画を出してますが、本当にこの3つは大事だと痛感しています。

コンテンツでも、農業でも、なんでもいいのですが、何かを作るという作業は、試行錯誤の繰り返しなので、地道にやるしかありません。

 

なので、もし表現者として挑戦する人が増えていくのであれば、この保守思想的な態度で臨む人が増えていくのではないでしょうか?

というわけで、日本では、保守的な”思想”が広がるのではなく、保守的な”態度で、行動をする人”が増えていく、というのが、私の見立てというか、願望です。

 

この記事を書いた人
ゴトウ

証券会社で12年間勤務。営業と店舗マーケティングに従事後、2018年から当サイト「イエ&ライフ」を運営しています。

不動産価格の動きの理解や今後の予想は、金融マーケットの知識があると理解しやすいため、読者のお役に立てるのではないかと、サイトを運営しています。

また、2024年からYoutubeチャンネルも始めました。
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