今回の動画は、「ユーゴスラビア内戦と現在。史上最悪は、グローバリストが無理やり作った」ということで、やっていきたいと思います。
1、はじめに
皆さんは、アンダーグラウンドという映画を知っているでしょうか?
この題名の映画は、昨年邦画でもあったようですが、ここで言ってるのは、1995年に公開された映画の方のことで、エミール・クストリッツァ監督のものです。

1941年から92年までのユーゴスラビアを舞台にした、内戦に関する物語なのですが、大学時代に見た映画の中で、1番衝撃を受けた映画だったと思います。
3時間ぐらいあるので、かなり長いですが、登場人物がハチャメチャで、この画像の真ん中に出てる、主人公の髭のおっさんの後ろに、いつも10人ぐらいの楽団がくっついていて、どんなシーンでも、何かと映画のBGM代りに演奏してくれているという、意味のわからない設定も好きでした。
アマプラなどの動画サービスでは、やってないようなので、ツタヤとかで探すしかないと思いますが、YouTubeで全編アップしているチャンネルがありましたので、字幕なしではありますが、どんな雰囲気なのかはわかると思います。
一応、その動画のリンクを貼っておきます。

それで、今回の動画は、ユーゴスラビアの内戦をテーマにしようと思って、いろいろと調べていたのですが、YouTubeで検索してみると、ここに挙げた動画が全て10万回以上の再生をされており、驚きました。
ユーゴスラビアなんて、ほとんどの人が行ったこともないと思うのですが、これらのサムネ画像を見てもらうとわかる通り、「史上最悪の内戦」または紛争というタイトルがついており、この辺りが視聴者の興味を惹いているんだろうなと思います。
ただ、正直な話、同じようなタイトルのテーマが4つも、数十万再生されているということは、視聴者の方々も、これらの動画の説明にイマイチ納得していないのではないか?とも感じました。

これらの動画で「史上最悪」とタイトルがついている理由は、それまでお互い仲良くやってきた多民族国家のユートピアみたいな国だったユーゴスラビアが、内戦に突入して、凄惨な殺し合いになってしまったからだ、ということだと思うのですが、
じゃあ、なぜこんなことになってしまったのか?
という、原因については、フワッとしか解説されておらず、イマイチ納得できていないからではないか?
だからこそ、同じようなタイトルのものを色々見て、それぞれ数十万再生になっているのではないか?
以前に、コメントでユーゴスラビア内戦についてやって欲しいとコメントをいただいたことがあるのですが、それはそういう理由からではないかと思います。
というわけで、今回の動画では、ユーゴスラビア内戦について、なぜ史上最悪と呼ばれるほどのことが起こってしまったのか?
その理由を深掘ぼっていきたいと思います。
それでは、参りましょう。
2、ユーゴスラビアの歴史

まずは、ユーゴスラビアの歴史について、ざっくりと見ていきたいと思います。
ユーゴスラビアは、イタリアの東側のアドリア海を挟んだところにあった国で、こちらの地図は、1945年から92年にかけてのものになります。

ユーゴスラビアは、大きくは3つの時期に分かれてまして、
第1期は、1918年から41年までで、第一次世界大戦で、オーストリア・ハンガリー帝国とオスマントルコ帝国が崩壊したことで、この辺りの国が独立し、ナチスに占領されるまでユーゴスラビアを名乗っていました。
第2期は第二次世界大戦後の1945年から92年までで、6つの共和国による連邦制をとっていました。
第3期は、これらの連邦から独立する国がボロボロ出てきて、セルビアとモンテネグロだけの連邦制になった時期になります。

それで、ユーゴスラビアという国は、多民族国家だったわけですが、この辺りは歴史的に、文明が違う国が占領しては撤退してを繰り返す、波打ち際みたいな場所になってました。
例えば、こちらの画像の左側は、オスマントルコの領土ですが、15世紀にコンスタンチノープルを占領してビザンツ帝国を滅亡させた頃には、マケドニアやコソボ、そしてセルビアの一部がトルコ領になっていました。
そして、時と共に徐々に北上していって、17世紀にはスロベニア以外は全てトルコ領になってました。
しかし、その後ヨーロッパ諸国が産業革命以降、力をつけてきたことで、押し返していきます。真ん中の地図は、オーストリア・ハンガリー帝国のものですが、セルビアやボスニアなどの、後のユーゴスラビア領土の半分以上まで取り返したような状況となっています。
つまり、イスラム教の帝国に支配され、その後にキリスト教の国に支配されたのが、これらの場所だったのです。
どちらの帝国も、宗教に対しては比較的寛容だったので、押し付けることはなかったようですが、その分、いろいろな人が住むようになって、多民族国家になっていったのです。

それで、こちらがユーゴスラビアの民族別の分布になります。
ピンク色がセルビア人で、緑色がムスリム人、黄色がクロアチア人になります。
かなり色が混じっている場所がありますが、ここがボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチアです。1992年からの内戦で、激化したのはこの2つの共和国でしたが、その背景には、このような民族の入り混じった状況があったんですね。
逆に、北部にある青色のスロベニアは、独立してユーゴスラビア軍と戦争になったものの、わずか10日間で集結しました。それは、スロベニアという国が、ほとんど他の民族がいなかったことが大きかったようです。

次に、ヨーロッパの中での、ユーゴスラビアの位置付けについても確認してみましょう。
こちらは、冷戦時代の欧州からソ連にかけての地図で、緑色がユーゴスラビアで、濃い黒色で弾かれている境界線が、いわゆる鉄のカーテンになります。
東西冷戦でお互い警戒しあってきた関係の中で、ユーゴスラビアは西側諸国側に位置しており、なおかつソ連圏と接しているということで、日本やドイツのような、共産主義国との防波堤みたいな役割を担っていたことがわかります。
もともとユーゴスラビアは、共産主義の国だったこともあり、ソ連の属国みたいなポジションにありました。建国の父と言われるチトーも、スターリンの側近だった人です。
ですが、1948年にソ連と絶縁して、独自の共産圏国家として歩み始めたことで、アメリカが多額の経済援助、軍事援助を行ってきました。
しかし、共産圏国家というのは、産業を起こすのがだいたい下手なので、援助はもらうけど、輸出できるものが少ない、ということで、貿易赤字が続き、アメリカからの補助金頼みの国になっていき、これが後の内戦の原因に繋がっていきます。

また、ユーゴスラビアという国は、6つの共和国からなっているのですが、セルビア共和国内に、コソボとヴォイヴォディナという自治州を持っていました。
そして、1974年に憲法改正によって、この2つの自治州も6つの共和国と同じ権利を与えられました。当時は、ユーゴスラビアで1つにまとまっていたので、共和国と自治州が似たような扱いになっていても、あまり困ることもなかったのでしょう。
ですが、このように強い権利を自治州に与えたため、特にコソボについては、アルバニア人が9割を占めていたので、分離独立の声がでかくなり、98年からのコソボ紛争で激化していきました。

(参考:mpra.ub-muenchen.de *PDFファイル)
ここまで、ユーゴスラビアという国が、いかに多民族国家で複雑な関係にあったのかについて見てきましたが、もう1つ重要なポイントが、経済です。
こちらのグラフは、ユーゴスラビアのインフレ率の推移です。
先ほど、アメリカからの多額の援助があったと説明しましたが、このような経済援助があったために、復興も進んだものの、共産主義だったため、産業の育成が下手くそで、海外に輸出できる商品が育たず、貿易赤字が続いて借金が膨らんできました。
そして、それが爆発したのが、第二次オイルショックからの、ゴロつきボルカーFRB議長による強烈な政策金利の引き上げです。
原油を輸入していたユーゴスラビアは、原油価格が大きく上がったことで、貿易赤字がさらに膨らみ、さらにアメリカの金利が20%まで上がって、さらにドル高になったために、ドル建て債務が一気に膨らんでしまい、インフレがガンガン進んでいったのです。
1980年のインフレ率は年率で50%を超え、85年から90年にかけては、年率100~300%まで上がりました。
グラフしかなかったので、きっちりと計算してませんが、85年以降は年率で物価が2倍とか4倍になってますので、おそらく85年から90年にかけての5年間で、資産価値は300分の1ぐらいになっているはずです。
300分の1といったら、貯金なんて紙切れみたいなものです。こんな状態になったら、真面目に働いて豊かになろうとか、そんな状態ではないでしょう。
国民の不満も相当溜まっていたでしょうし、もうユーゴスラビアという国に対する信頼も無くなっていたと想像されます。

北斗の拳の雑魚キャラや、アンダーグラウンドの主人公みたいな、ヒャッハーしている人たちが増えたとしても、おかしくないでしょう。
3、グローバリストに破壊されたユーゴスラビア

ということで、ここまでユーゴスラビアが、いかに多民族国家だったのか、そして、その経済がいかに脆弱で、1980年代以降はヒャッハーな展開になってしまったのか?について、見てきました。

それで、全てのYouTube動画を見たわけではありませんが、ユーゴスラビア内戦が起こった理由の1つとして、カリスマのチトーが死んだことで、タガが外れたみたいな説明をしている人が多いと思います。
しかし、おそらくこれは違うと思います。
チトーは1980年に死んで、その後の1981年にセルビアの自治州のコソボで暴動が起こって、それが全土に拡大していきましたので、確かにタイミング的には一致しますが、この暴動の背景にあるのは、国内問題だけでなく、グローバリストによる途上国への貧困化作戦によるものだと思うからです。
なので、仮にチトーが90年ごろまで生きていたとしても、ユーゴスラビアの経済状態は悪化の一途を辿っていったはずですから、いずれにせよユーゴスラビアという国に対する信頼は失墜し、独立を求める共和国を抑えることはできなかったでしょう。
そこで、ここからは、ユーゴスラビアを経済的な苦境へと追い込んでいった、1970年代から80年代の、グローバリストの手口について見ていきたいと思います。

なお、ここからの説明で参考にした書籍をご紹介します。
それがこちらの「A Century Of War」です。著者はウィリアム・イングドールというドイツ在住のアメリカ人ジャーナリストの方で、日本では「ロックフェラーの完全支配シリーズ」や、「石油戦争2.0」などの著作が出版されています。
この本は1993年4月に出たものなのですが、残念ながら邦訳されていないものの、私が最近追いかけている、プロメシアン・アクションというアメリカの政治系チャンネルで、たびたびこの本が紹介されているので、読んでみました。
内容は、イギリスとアメリカが、いかにして石油を使って、世界を自分たちの都合のいいように作り上げてきたか?について、詳しく解説しているものになります。
洋書なのでハードルは高いですが、一応、Amazonのリンクも貼っておきます。
それで、この本では、1970年代に起こったオイルショックは、英米が仕掛けたと解説しています。
その理由は、英米のグローバリストが、世界中の国々が豊かになることをやっかんでいたからだというのが、筆者の主張です。
やっぱりここでも、イギリスはクズなんですね。

それでこちらのグラフは、原油価格の推移ですが、第一次オイルショック、大事にオイルショックの時に、原油価格が無茶苦茶上がっているのがわかりますね。
第一次では4倍、第二次では3倍近く、原油価格が上がりました。
これだけ原油価格が上がってしまうと、当然ですが、原油を輸入している国はその費用が爆増してしまい、苦境に陥ります。
特に、輸出できる商品があまり(価格が)高くない、農産物が多い国では尚更です。
逆に、値上げできた産油国は、ムチャクチャ金が入りましたし、その金の運用を任せられた英米の金融機関は大儲けできました。
つまり、途上国は貧乏になり、英米の金融機関と産油国、そして石油産業は大儲けできたというのが、オイルショックだったのです。
この事実を考えただけでも、英米のグローバリストがオイルショックを起こす理由が十分にあったことがわかりますよね。
では、歴史的事実でこの話を確認していきましょう。

1973年から74年にかけて起こった第一次オイルショックは、そもそも、なんで起こったのか?というと、1973年10月にエジプトとシリアが、イスラエルに攻め込んで始まった第四次中東戦争で、アメリカがイスラエルへの支援を始めたからでした。
サウジなどのアラブのOPEC諸国は、イスラエルと敵対関係にありましたので、そのイスラエルを支援すると発表したアメリカやオランダに対して、抗議の意味を含めて、石油の生産量を減らすと宣言したのです。
しかし、ではなぜエジプトやシリアがイスラエルに戦争を仕掛けたのか?というと、これはキッシンジャーがエジプトのサダト大統領をけしかけたからでした。
サダト大統領は、前の大統領のナセルの時に、散々イスラエルに戦争を仕掛けたり挑発してきては、返り討ちにあってたので、もうイスラエルと和平を結びたいし、ソ連からアメリカ側に同盟関係を変えたいと、キッシンジャーに相談してきたのです。
ところが、キッシンジャーは、この時に
「イスラエルにやられっぱなしのままで、こっち側に入っても、これからずっとイスラエルに舐められっぱなしですよ?いいんですか?1発殴っておかなくて?やっちゃいましょうよ」
とイスラエルにちょっと痛い目に合わせることを条件として提示してきたのです。
1967年の第3次中東戦争では、イスラエルがエジプトやヨルダンに奇襲攻撃を仕掛けて、エジプト領のシナイ半島と、ヨルダン領だったヨルダン川西岸を奪取するという大勝利を収めていたので、キッシンジャーはちょっとイスラエルは勝ちすぎて、調子に乗ってると思ってたようなんですね。
それで、サダトはイスラエルに攻め込んで、アメリカがイスラエルを支援すると表明したことで、第一次オイルショックが起こったのですが、これで原油価格が4倍に上がって、ウハウハになったサウジアラビアのこの金を誰が運用したのか?というと、これがデビッド・マルフォードという欧米の金融機関の大物だったのです。

このマルフォードが、サウジアラビア通貨庁の主席投資顧問になって、儲けた金を英米の金融機関に流す役割を担いました。
あれ、アメリカが憎くてOPECって、生産量を削減したんじゃなかったんでしたっけ?って思いますよね。完全にOPECと英米がグルでやった値上げ劇だったのです。

そして、さらに1979年にイラン革命が起こりました。
この革命も、英米そしてイスラエルが、イランの諜報機関であるSAVAKや、イスラム過激派を使ったりしてやったクーデターでした。
最高指導者となったホメイニ師は、1964年にイランからイラクに追放されていたので、当時のイラン人からすれば誰それ?みたいな存在だったのですが、その後、フランスに移住を許可され、そこでイギリスのBBCがインタビューして、この人こそが救世主だ!と持ち上げまくって、革命後に凱旋帰国させたという顛末だったのです。
なので、完全に英米の言いなりの人だったので、78年から始まった革命時にストライキが起こって、原油の生産量が減っていましたが、革命後に生産をストップさせたことで、さらに原油価格の上昇を演出することができました。
この第一次、第二次の二回のオイルショックによって、原油価格は20倍以上に上がってしまいましたので、途上国はもう大変なことになってしまいました。
ただでさえ、海外に売るものが少ない中で、原油価格が上がったら、生産コストが上がってしまい、値上げせざるを得ず、販売量が減ってしまうからです。
そのため、貿易赤字が膨らみ、さらに借金が膨らんでいきました。そんな状況のところで、ゴロつきボルカーがFRB議長に就任し、政策金利を最大20%近くにまで上げました。
これによって、ドル高と金利上昇が進み、さらに返済が厳しくなっていきました。

1980年代はIMFが中南米やユーゴスラビアなどの途上国に支援の手を差し伸べましたが、その代わりに緊縮財政を強制したため、公共事業が一気に減り、失業者が溢れかえりました。
このようにして、途上国の経済を破壊し、先進国の労働者の雇用を破壊し、金融機関だけが儲かるように仕掛けたのが、1970年代から80年代にかけての英米のグローバリストだったんですね。
ちなみに、現在のトランプ政権は、ホルムズ海峡を封鎖することで、イラン政府を転覆させ、OPECを破壊しようとしているように思います。
トランプは、第1期の頃からOPECは生産調整をやめて、もっと原油を安くすべきだと言ってましたし、ベネズエラをぶん殴って、アメリカの石油会社に生産設備への投資をさせて、ベネズエラの生産量を回復させようとしています。
OPECと一緒になって、オイルショックを仕掛けて、原油価格をここまで引き上げてきたのは英米のグローバリストですから、この仕組みをぶっ壊すことで、世界中の国々が安価なエネルギーにアクセスできるようにすることで、世界中を豊かにしようとしているのでしょう。
3、ミロシェビッチは、どこまで悪人だったのか?

ちょっと脱線しましたが、今度は最悪の戦犯とされている、ミロシェビッチについて考察していきたいと思います。

(参考:wikipedia「スロボダン・ミロシェビッチ」*セルビア語版)
スロボダン・ミロシェビッチは、1989年から97年までのセルビア大統領で、
1997年から2000年までユーゴスラビアの大統領を務めていました。
セルビア人は、ユーゴスラビアの中で最大の民族集団で、人口の3分の1以上を占めていましたので、ユーゴスラビアの中でも要職を占める割合が高く、特に軍部では、将軍職の5割、上級職の6割以上がセルビア人でした。
なので、他の共和国が独立したいと思ってる一方で、セルビア共和国はこの状況のままがいいと思っている人は多かったと思われます。
そのため、クロアチアやスロベニアが相次いで独立宣言をした際には、ユーゴスラビア軍が動いて、鎮圧に回りました。
民族的にほぼスロベニア人一色だったスロベニアでは、10日間で戦争は終結しましたが、セルビア人も結構いたクロアチアでは、92年から95年まで内戦が続きました。
内戦時には、民族ごとに結束する動きとなりましたので、セルビア共和国以外に散らばっているセルビア人を守るため、という名目もあって、指導者であるミロシェビッチは、クロアチアやボスニアでの戦争にも介入していったため、民族自立の邪魔をする悪者的な描かれ方がしやすかったのだと思います。
それで、2001年にユーゴスラビアの大統領を追われた後に、セルビア警察に捕まり、オランダのハーグに連行されて裁判となったのですが、2006年に判決が出る前に病死しました。
ユーゴスラビア内戦を見ると、セルビア人による虐殺事件がいろいろと有名になっています。
例えば、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で起こったスレブレニツァの虐殺は、セルビア人武装勢力が、イスラム教徒のボスニャク人約8000人を虐殺したというものです。
また、ボスニアの首都のサラエボを包囲した包囲戦でも、セルビア人とクロアチア人が包囲する側に周り、1.2万人の人が亡くなっています。
しかし、この内戦では、民族浄化という言葉が使われて、これをやってたのはセルビア人だと言われてましたが、これはアメリカの広告会社のルーダー・フィンが、仕掛けたもので、欧米諸国をこの戦争に注目させようと仕掛けたキャンペーンだったことがわかっています。
なので、ユーゴスラビア内戦のような、民族が入り組んだ複雑な内戦で、どっちが100%悪いみたいなことは、外野の私たちには判断できないものだと思っています。セルビア人もたくさん死んでますからね。
そのため、ミロシェビッチは、確かにやべえ人だとは思いますが、いろいろ調べてみた感想としては、ちょっとNATOを中心とした欧米諸国の都合で振り回されてる感が強いというのが、正直なところです。

例えば、ミロシェビッチは、2000年に大統領選挙で敗北して、その後セルビア警察に捕まって、そのままオランダのハーグに連れ去られていきましたが、
こんな強引なことができたのは、アメリカ政府が、ミロシェビッチを捕まえないと経済支援をしないぞと脅したからです。
また、ハーグでの裁判では、4人の(主要)検察官が裁判に関わったのですが、この検察官全てがNATO諸国からの人間であり、「独裁者のミロシェビッチが全部やった!ひどいやつなんだ!」という物語を作り上げて、何十という罪状のものをまとめてミロシェビッチのせいに仕立て上げました。
そして、ミロシェビッチが死んだ10年後の2016年に無罪判決が出て、あれは一体なんだったんだ?ということになってしまっています。全く、強引な裁判劇だったのです。
5、グローバリスとは何がやりたかったのか?
そこで、ここからは、セルビアとNATOとの関係にフォーカスしつつ、グローバリストが何をやりたかったのか?について、考察していきます。
まず、内戦当初の1991年当時のセルビアに対する欧米諸国の評価は、概ね好意的だったとようです。というのも、周辺でナショナリズムが盛り上がって、独立運動が起こったら大変だと思っていたからです。

セルビアは、ユーゴスラビアの統一を維持しようとしていましたので、寝てる子を起こさないように頑張ってくれ!というのが本音だったのでしょう。
しかし、クロアチアやボスニアでの、主にセルビアによる虐殺事件が報道されるようになって、セルビアに対する評価は次第に冷たくなっていきました。
そしてさらに、1994年1月に、クリントン大統領は「平和のためのパートナーシップ」を宣言し、NATOの東方拡大を目指すようになりました。
このNATOの東方拡大の最終目的は、現在のウクライナ戦争でわかる通り、ロシア潰しでしたので、ロシアと仲がいいセルビアが主導権を握っていたら、その傘下の国々は、絶対にNATOに入ってくれません。
そのため、この頃から、NATOはセルビアを敵視する作戦へと変わっていったのだと思います。

また、このように当初は様子見だった欧米諸国ですが、ドイツだけは切込隊長のような役割を担って、積極的にユーゴスラビアの解体に動いていました。
1991年にスロベニアとクロアチアが独立宣言した後、いち早くこれらの国を国家承認したのがドイツでした。
さらに、1995年にドイツはコソボ自治州の隣にあるアルバニアと協定を結び、全ての民族の自決権を謳ったことで、コソボ自治州の独立を煽りました。
コソボの民族構成を見ると、9割がアルバニア人です。
なので、隣のアルバニアで、アルバニア人には権利がある!と宣言すれば、じゃあ俺たちだって独立できるよね、となるに決まってます。
さらに、ドイツはコソボ解放軍KLAへも軍事支援をしてましたので、セルビアからコソボを引き離す気満々で動いていたことがわかりますね。
ドイツがなぜこんな役を買って出たのか?その理由はいろいろあるようですが、まあ、アメリカもコソボの独立を支援しようとしてましたので、多分アメリカのパシリになったというのが、いちばんの理由でしょう。

そして、1999年にNATOはコソボ紛争を終わらせるためという名目で、セルビアやコソボで、2か月以上の空爆を行いました。
この空爆は、国連を無視して行なっており、国内の橋や工場、病院、学校、民間企業、軍事施設、文化遺産など、何でもかんでも無茶苦茶ぶち壊して、しかも劣化ウラン弾まで使われるという悲惨さでした。
死亡者は500人から2000人程度と、2か月以上空爆した割には、思ったほど死亡者は多くないように思いますが、これによって、間違いなく、セルビア国民はNATOにかなりの反感を持つようになったと思います。
おそらく、NATOの狙いはセルビア国民をロシア側につけることだったのでしょう。
これによって、NATOが支援するコソボと、ロシアが支援するセルビアという図式を作って、いつかウクライナ戦争のようなバトルを起こそうとしていたのだと思われます。
それで、現在のコソボはどうなってるのか?というと、隣国のアルバニアからのギャングも来てて、麻薬密売カルテルがやりたい放題の状況となっています。

また、コソボ解放軍はドイツとアメリカの支援を受けており、特にアメリカからは、民間の軍事会社もコソボに入ってきていて、かなりきな臭い場所です。
そのため、コソボとセルビアの間では、最近まで紛争が絶えず、おそらく、トランプ政権にならなかったら、ウクライナの次はコソボでドンぱちをやる予定だったのだと思います。

(参考:european western balkan.com)
しかし、第1期トランプ政権で、セルビアとコソボの和平に動き出し、今期になって、コソボとアルバニアをガザの平和評議会に招待し加入させました。
この平和委員会には、1国あたり10億ドル、約1,600億円かかるので、普通に考えたら、こんな小国が入れるわけがありません。
おそらく、アメリカが参加国に金を出させて、金の力でまともな国に建て直すことで、バルカン半島の正常化を目指そうとしてるのだと思います。
というわけで、ちょっと話が長くなったので、まとめてみます。


という感じでしょうか。
バルカン半島は、ヨーロッパの火薬庫と言われてきましたが、トランプの調停によって、ようやくそれが終わりそうな局面に入ってきそうですね。
最後に、アンダーグラウンドのラストで、登場人物全員が集まって宴をやるシーンがあります。それで、それまでちょっと知恵足らずな喋り方をするイヴァンという役をしていたスラブコ・シュティマツというセルビア人の俳優がいるのですが、
この人が、この宴をしているみんなから、ちょっと離れた場所で、観客に向かって、素の自分を晒してるような雰囲気で、このように語り出します。

「苦痛と悲しみと喜びなしでは、子供たちにこう伝えられない。
『むかし、あるところに国があった』と」
この映画の撮影は、1993年の秋に始まり、95年の春先まで続けられました。
なので、内戦で数々の虐殺のニュースを聞いていく中で、まさに国がなくなっていくことを実感しながら、作られたものだと思います。
私は映画や漫画のラストって、ほとんど覚えていないのですが、この映画だけは、なんとも言えないのですが、強烈な印象が残っています。
3時間と長いですが、今Amazonで見たら、DVDやブルーレイでは売ってました。ちょっと高いですが、もし気になったら一度チェックしてみてください。
概要欄にリンクを貼っておきます。


今回は以上です。
ありがとうございました。






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