なぜ日銀は、平成バブルを起こし、崩壊させたのか? | イエ&ライフ

なぜ日銀は、平成バブルを起こし、崩壊させたのか?

サムネ_日銀 コラム

この記事では、「日本を貧乏にした犯人は誰なのか?」について、考察していきたいと思います。

 

なぜ日本は失われた30年とか、そういうことを言われるようになってしまったのでしょうか?

もちろん、そのきっかけは、平成バブルの崩壊です。

では、そのバブルがなぜ起こったのか?なぜ崩壊したのか?

そして、もしそれが、誰かが意図的にやったものだとしたら、その理由はなんなのか?

 

そういうことについて、今回は考察していきたいと思います。

それでは、参りましょう。

 

1、平成バブルを作って壊した犯人

まず最初に、私の結論を言っておきますと、この日本をおかしくした犯人、それは日銀です。

YouTube上では、小泉・竹中政権の頃の政策で、日本がおかしくなった、みたいなことを言われていますが、それは、ちょっと違うと思います。

 

日本を牛に例えるなら、小泉政権は、屠殺した牛を解体しただけであって、日本という牛を肥え太らせ、そして屠殺したのは、日銀だったというのが、私の解釈です。

なお、今回のこの話にも、参考とした書籍があります。

それが、こちらのリチャード・A・ヴェルナー氏の著作「円の支配者」です。

 

円の支配者

 

2001年発刊なので、20年以上前の本なのですが、証券会社に入社して半年ぐらいの頃に、大阪の古本屋で見つけたのが、私とこの本の出会いです。

 

文学部出身だった私は、経済のことはさっぱりわからなかったので、「経済について、もっと詳しくならなきゃな」ぐらいのノリで買ったのですが、内容があまりに衝撃的で、「日本やばすぎでしょ」と思った記憶があります。

引っ越した時に、大量に本を処分した時に、一緒に売ってしまったのですが、どうしても気になって、2、3年前にアマゾンで買い直しました。

 

今もアマゾンでは、中古で売ってますね。

口コミを見ると、今年に入っての投稿もチラホラ見られるので、今でもこの本に行き着く人がいるんだなあ、と感慨深いです。

 

著者のヴェルナー氏は、この本をまとめるために、1991年から日銀に関する調査を続けていたそうです。

10年越しの本なので、日銀のスタッフへのインタビューや、独自に取得したデータなど、証拠がふんだんにあり、専門用語は多めではありますが、語り口がわかりやすいので、推理小説を読んでいるような面白さがあります。

 

かなり前の本なので、今は図書館に行かないと読めないかもしれませんが、見つけた方は、ぜひ一度、手に取ってみてください。

一応、Amazonのリンクを貼っておきます。

Amazon.co.jp

 

それでは、本題です。

日銀が具体的に何をしたのか?ということなのですが、それは、窓口指導です。

 

Wikipediaをそのまま引用しますと、

窓口規制(窓口指導)とは、日銀が用いている金融政策の一つ。民間金融機関の貸出額の増加量に上限を設定することで通貨量をコントロールしようとすること。

(参考:ウィキペディア)

とあります。

 

つまり、日銀が銀行に、「これぐらいまでなら、お金を貸してもいいよ。でも、それ以上はダメ。」と管理する方法ということなんですね。

 

Wikipediaには、これ以上の説明はなく、ほとんど実態が知られていません。というのも、この窓口指導というものは、非公式な手段だったからです。

なので、この本の著者であるヴェルナー氏は、日銀の関係者の方にインタビューを行ったり、当時の新聞記事などを集めて、状況証拠を集めて分析をしています。

 

それで、この窓口指導とは何なのか?というと、貸付のノルマ制です。

「これ以上、貸し付けるな」ではなく、「ここまでキッチリ貸しつけろ。できなかったら、シェアを下げるぞ」とやったのです。

 

窓口指導のイメージ

 

1980年代の銀行は、ほとんど倒産した事例がなく、都銀や地銀、信金といった序列意識が今より強く、銀行の格付けは、ほとんど変わっていませんでした。

そういった状況が長く続くと、そこから下がるということは、とても屈辱的なことになります。

 

昨日まで部下だったと思っていた奴が、今日から自分の上司になるような、そんな感じではないでしょうか?

なので、ライバル行に対する対抗意識は、ものすごく強く、ノルマを達成できなかったら、シェアを下げられるということは、恐怖以外の何ものでもなかったと想像されます。

 

こちらの表は、この当時の窓口指導枠、つまりノルマと、実際の融資額です。かなり驚異的な伸びをしていることと、それをほぼ100%達成していることがわかります。

 

窓口指導枠と融資実績

(参考:書籍「円の支配者」に掲載のデータより)

 

特に、1982年以降の窓口始動による融資額の増加率は、年率10%以上を超えています。

例えば、82年に130億円融資したら、次の年は新たに144億円融資する必要があり、翌年には163億円になり、翌々年には184億円になり、、、、7年後の1989年には、287億円にまで膨らんで行ったのです。

 

ちなみに、同じ期間に物価がどのぐらい上がったのか、というと、わずか10%です。

7年間で物価は1割上がっただけなのに、融資のノルマは倍以上に増えていたのです。やばすぎでしょ。

 

営業をやっていた人ならわかると思いますが、これは相当キツイです。いつまでも楽になれない無間地獄のようだったのではないでしょうか。

その結果、企業が本業で稼ぐために必要な資金需要は、とうに満たしてしまい、銀行は企業に財テクを勧めました。

 

要するに、「株や土地への投機によって、お金を稼ぎましょう」というわけです。

そのための資金は、銀行がいくらでも出しますよ、「ていうか、マジでお金借りてください。何でもしますから」という感じだったようです。

 

窓口指導の威力の凄まじさ

その結果、どうなったのか?

公示地価を見てみると、その凄まじさがわかります。

当時の東京23区の住宅地と商業地を見てみると、1986年から88年までの、たった2年で2.5倍になっています。

 

東京23区の平成バブル期の公示地価

(参考:国土交通省 地価公示)

 

当時、地上げ屋という言葉がありました。

何かの漫画で、悪いお兄さんたちが、クレーンで家を壊して、無理やり住んでいる人の土地を買い叩いて儲ける、みたいなシーンを見たことがありますが、これほど価格が上がっていたのであれば、そういう人の話も、実際にあったのかもしれませんね。

 

そして、その後の下落も凄まじいですよね。

一体、高値で買った人は、どれだけ損をしたのでしょうか?恐ろしすぎます。

上昇したのは、窓口指導のおかげと説明しましたが、ではなぜ、その後に急激に下がったのでしょうか?

 

そうです。窓口指導をやめたからです。

1991年7月、窓口指導は急遽取り止められました。

 

それまでは、年率10%以上のペースでお金を貸し付けるノルマが増え続けていましたので、猫にも杓子にも、お金を貸す必要がありました。

ですが、その割り当てがいきなりなくなったのです。

こちらは、不動産業向けの貸出残高の前年比での変化です。

 

不動産向けの貸し出しの増加額 バブル期

(参考:日本銀行)

 

1991年に入ってから、貸出額の増加が、急激にストップしていることがわかります。

不動産が投機の対象になっていたということは、次のカモとなる買い手が現れなければ、高値掴みで売るに売れずで、大損を意味します。

 

公示地価でも、急激に下落しているのは、銀行が不動産業向けの融資をストップしてしまったため、新しいカモとなる買い手がつかず、値下げをせざるを得なくなったためでしょう。

そして、こちらの画像は、日銀のHPにあったものです。

 

2019年精華大学での講演内容に窓口指導の記述が

(参考:日本銀行)

 

2019年に中国の清華大学で、当時の日銀の副総裁だった雨宮さんの講演記録なのですが、そこにはっきりと、1991年に窓口指導をやめたと書かれています。

この講演では、窓口指導が効果がなくなってきたのでやめた、と言ってますが、そうではなくて、これによって、本格的に不動産のバブルが弾けたのです。

 

その結果、多くの企業が、多額の損失を出しました。

しかも、投資していた土地や株が、その後もどんどん下がっていくため、持っている資産の評価額もどんどん下がりました。

 

いくら、お金を返しても返しても、持っている資産価値が下がるため、さらなる返済に巻き込まれ、1998年には、とうとう長銀や日債銀などの、大手銀行の破綻となり、この時期に卒業した大学生の多くが、就職できずに非正規に流れました。

こちらは、日本の失業率の推移です。赤色で囲んだ部分が、就職氷河期と呼ばれる世代が、就職した時期の、当時の15~24歳の失業率です。

 

氷河期世代の若年失業率

(参考:ウィキペディア 「就職氷河期」)

 

やはり、98年ごろから、失業率が大きく上昇していますね。

新卒が絞られ、非正規で社会人デビューをした人も多かったと思います。

 

私は、大学3年の後期から1年間休学して、半年バイト、半年中米に旅行に行ってたため、ラテンのノリが抜けきらず、かなりチャランポランな就活をしていましたが、証券会社に入社できました。

ですが、証券会社は、前年にITバブルがあって、どこの証券会社もけっこう儲かっていたため、正社員の募集が一番多い時期でした。

 

なので、私の世代の前後は、あまり募集も多くなく、それより上の世代はスカスカだった記憶があります。

それと、その入社した時が株価も高値で、それから3年ぐらい下げ続けたため、新規開拓もうまくいかず、相当きつかったです。

 

この時期のことを、野村総研のリチャード・クーさんは、バランスシート不況と名付けています。企業が借金を返すのに必死になって、リストラしたり、給料減らしたり、新入社員の採用をやめたり、投資を辞めたりして、お金を使わなくなくなったことで、みーんな貧乏になってしまった、というわけです。

 

つまり、日銀は、今風に言うと、やべーホストクラブのようなことをしたのです。

日本経済というウブな女性に、たらふくシャンパンを飲ませて、いい気分にさせた後に、借金漬けにして、風俗で働かせるみたいな、そういう状況を作ってきたんですね。

 

なので、2001年からの小泉政権は、そのような瀕死の日本経済をさらに外資に売り渡すように解体した、という意味では、ひどい政権だったとは思いますが、それはとどめを刺す役であって、原因を作ったのは、日銀だったと、私は解釈しています。

 

2、なぜ、日銀は、こんなことをしたのか?

では、なぜ、日銀はこんなことをしたのでしょうか?

私の解釈では、理由は2つあります。

 

(1)アメリカに日本を売り渡すため

1つ目は、もちろん、アメリカに日本を売り渡すためです。

こちらは、日銀生え抜きの日銀総裁のリストです。ただし、1998年に就任した速水優氏は、1981年に日商岩井に移っているので、日銀の中枢にいた人物なのかは、ちょっとわかりません。

 

日銀出身者の日銀総裁リスト

 

バブルを起こした1980年代に、影響力を持っていたのは、前川晴雄、三重野康、そして福井俊彦の三人だったと考えられます。

前川は、84年まで日銀の総裁をしており、三重野は、84年から日銀の副総裁、そして1991年からは総裁に就任しています。また、福井は窓口指導を指揮していた営業課長でした。

 

では、これらの人たちが、当時どういったことを発言していたのか?

前川は、当時の首相の中曽根康弘に対して、前川レポートと呼ばれる報告書を提出しています。

 

前川レポートは、「日本が貿易で儲けすぎて、アメリカに迷惑をかけている。だから、日本も輸出で稼ぐ国から、国内でもっと消費を活発化させて、アメリカから輸入を増やして、貿易赤字を減らすべきだ。そのために、徹底的な規制緩和をすべきだ」みたいなことを言っています。

(参考:ウィキペディア「前川レポート」)

 

あれ?何だか、小泉、竹中政権の時の政策に、似ているような感じですね。

郵政民営化とか、株式の持ち合い解消とか、大体が規制緩和の話ばかりでしたよね。

 

1980年代は、アメリカの産業構造の変革期

前川レポートが出た当時のアメリカの大統領は、レーガン大統領でした。

中学校や高校の頃に、1980年代のアメリカは、財政赤字と貿易赤字の、いわゆる「双子の赤字」で困っていた、と教えられていたと思います。

 

ですが、これは嘘です。

だって、アメリカは、それから今まで、ずっと双子の赤字が続いているのですよ。

むしろ、製造業を犠牲にして、金融で稼ぐ国に、本格的に転換したのがこの時期だと捉えた方が正しいでしょう。

 

実際、産業別のGDPの比率を見てみると、金融保険不動産のいわゆるFIREと呼ばれる部門が、1980年代から本格的に上昇しています。

 

アメリカの産業別GDPシェア FIRE部門

(参考:米国商務省 経済分析局)

 

そして、金融で稼ぐ国に変わろうとしていたということは、製造業のようにいい商品を安く作って、商品競争で勝つ、というゲームから、株式や債権の取り扱いを増やしたり、企業を買収して乗っ取ったり、新しい産業に投資をするなどして、お金を稼ぐゲームへ移っていったことを意味します。

 

アメリカが、そういう産業構造になったタイミングで、日銀はバブルを起こし、崩壊させ、外資が日本の企業を乗っ取りやすい状況へと持っていった、ということだと思います。

 

実際、今の状況を見てみると、結果として、日本企業の株式の3割以上が、外国人に保有されています。さらに、配当利回りも2~3%ぐらいは、株主に毎年払っています。

 

外国人持ち株比率の推移

(参考:k

 

私が就職した頃は、配当利回りは1%前後だったと記憶しています。

銀行や取引先の企業同士で持ち合うことが多かったので、お互い様、ということで、それほど配当を出さなくても良かったからです。

 

その分、社員の給料や、接待費、そして、社員旅行などの福利厚生費などに使われていました。

今は無惨な鬼怒川温泉は、そういった社員旅行で使われていたのです。

 

ところが、外国人投資家が増えてきたことで、配当を増やせとプレッシャーをかける人が増えてきました。配当を増やすためには、他で使っているお金を減らさなければいけません。

その結果、人件費を削ったり、40代以上でのリストラをする会社が増えてしまい、そんな状況がこの20年ぐらいは続いています。

 

(2)日銀を大蔵省から独立させるため

もう1つの理由が、日銀を大蔵省から独立させるためです。

1998年に日銀法が改正されるまで、日銀は大蔵省の中の一機関であって、日銀総裁は、日銀と大蔵省出身者が交互に任命されていました。

 

なので、ことあるごとに、大蔵省のご機嫌を取らなければいけなかったため、組織として窮屈だったという思いがあったようです。

この本が出た2001年ごろまでは、日銀の窓口指導で銀行に融資を強制させていたとか、そういった話はされていませんでした。

 

むしろ、バブルの生成と崩壊の責任は、大蔵省、つまり現在の財務省にあると言われていました。

そのため、大蔵省にこれ以上大きな権限を持たせておくわけにはいかない、ということで、1998年に日銀法が改正され、大蔵省から正式に独立することができています。

 

ちなみに、1998年は、ノーパンしゃぶしゃぶ事件が発覚して、大蔵省の官僚が遊びまくっていたことがバレたこともあって、国民のヘイトを買い、大蔵省から財務省に名前を変えられています。

このことから、日銀が大蔵省から独立するために、このバブルを起こし、破裂させた、という見方も成り立ちますね。

 

このように、①外資に日本が買われるような流れを作ること、そして、②ついでに自分たちの組織を大蔵省から独立させること、の2点が、日銀がバブル経済を起こし、ぶっ壊した理由だと、私は解釈しています。

 

2、今の日銀はどうなのか?

この時期の日銀は、間違いなく、日本にとって有害な存在だったことは確かだと思います。

ですが、これはあまりにアメリカに有利に働きすぎており、日銀の総裁たちが、自分の意思でやっていたのかは、正直分かりません。

 

アメリカからの、相当な圧力があった可能性が高いとは思いますが、逆に自分たちの意思でやっていたとすれば、相当に頭がイカれすぎていたレベルではあります。

 

なお、今はどうなのか?と言えば、あまり状況は変わっていません。

アベノミクス以降に異次元緩和で、日銀が株を買って株価を上げてきました。

これも、株式を持っている人にとっては、有利な環境だったと思いますが、円安も進みすぎて大企業だけが儲かっている状況です。

 

日銀の異次元緩和で株を買いまくっていたという記事

(参考:毎日新聞)

 

また、昨年からは東証が自社株買いをして株価を上げないと、上場廃止にすると脅したりして、株価の上昇を通じて、海外に資金を流出させているように見えます。

 

東証の脅しで、自社株買いが増加しているという記事

(参考:ブルームバーグ)

 

さらに、消費税は輸出企業へ還付金という形で流れていますし、その輸出企業が稼いだお金は、高配当という形で海外に流れてしまいます。

また、株で儲かってる人の多くは、60代以上のあまり消費をしない人たちなので、相続税対策に、高層階のタワマンを買うぐらいしか使い道がありません。

 

そうやって都心の不動産価格が上がりすぎたため、とてもじゃないけど家族を養える自信がない男性が増えて、婚姻数も減少して、少子化が加速している状況です。

 

なので、「いい大学へ行って、いい会社に入る」とか、「結婚して、幸せな家庭を築く」とか、そういう、親世代以上の人たちが思っている、子供への期待は、年を追うごとに、ハードルが上がっているのが現状だと思いますし、今後もその傾向が加速することでしょう。

 

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この記事を書いた人
ゴトウ

証券会社で12年間勤務。営業と店舗マーケティングに従事後、2018年から当サイト「イエ&ライフ」を運営しています。

不動産価格の動きの理解や今後の予想は、金融マーケットの知識があると理解しやすいため、読者のお役に立てるのではないかと、サイトを運営しています。

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