この記事では、「日本を支えるな。静かな退職の先にある日本の未来」について、考察していきます。
1、はじめに
昨年あたりから、「仕事は最低限やって、定時で退社。そして、プライベートを大事にしたい」という働き方が、「静かな退職」と呼ばれ、度々話題となっています。
YouTubeで「静かな退職」で検索すると、結構な人たちが話題にしていて、それなりに再生回数も回っているので、多くの人が共感したり、気になったりしているテーマなのでしょう。
このサイト(チャンネル)は、「世界の仕組みがどうなっているのか?」そして「世界がこれからどう変わるのか?」という興味のもと、動画を作っているチャンネルですので、常々気になっているテーマではありました。
というか、私が半分そうでした。
サラリーマン時代は、必死で働いていましたが、35歳で辞めた時は平社員で、管理職になりたくなかったのも、辞めた一つの理由だったからです。
しかし、最近はそれが若い世代にも広がっている、というか、そういう態度が許されるようになったということに、何というか、感慨深さを感じます。
今回の記事では、この静かな退職がなぜ広がっているのか?そして、これからさらに広がっていくであろう理由と、その先にある日本の未来について、考察していきたいと思います。
それでは、参りましょう。
【参考書籍】自由からの逃走
その前に今回参考にした書籍のご紹介をします。それが「自由からの逃走」です。
著者は、エーリッヒ・フロムというドイツ生まれの社会心理学者で、ユダヤ人だったので、1933年にナチスが政権をとり、ユダヤ人に対する迫害が始まって1年後に、アメリカに亡命しています。
この本は、なぜドイツ人がナチスを熱狂的に受け入れたのか?ということについて、分析をしている本なのですが、読んでいると、全く時代を感じさせない、今の私たちにバシバシと刺激を与えてくれる内容になっています。
特に、自分を社畜だと思いながら働いている人にとっては、思い当たるところが多すぎて、そして、なぜ自分がこれほど苦しいのか?についてのヒントが満載となっていると思います。
私も昔を思い出しながら、読んでました。
なお、フロムは、この本を1941年に出していますので、すでに80年以上前の本なのですが、新訳が1965年に出ており、文章に読みづらさはありませんし、中世に遡って、社会や宗教、経済などを絡めて話を進めていくので、歴史的な流れとともに、人間社会の理解が進むという面白さがあると思います。
アマゾンのリンクを貼っておくので、興味のある人はチェックしてみてください。
それでは、ここからが本題です。
2、タテの関係とヨコの関係について
まず最初に、この自由への闘争の話に入る前に、人間関係における、縦の関係と、横の関係の特徴について、ざっくり整理していきたいと思います。
人間が生きていく上で、大きく2つの生き方があり、それによって、モラルの体系が異なります。
(1)取ること(タテの関係)
1つは、取ること、奪うことです。
マンモスを狩ったり、木の実を取ったり、他国に攻め込んで、相手から奪ったりなど、これらの人間の営みは、全て、一方的に相手または動植物から奪う行為になります。
また、他の部族や国家から攻められることもあるため、一致団結して守る必要性だって出てきますよね。
このような取るとか、守るという目的の下で、組織がつくられると、人々は、目的を達成するために必要なモラルを生み出します。
そのため、それぞれの人間は、何らかの「役割」を与えられる存在となります。
そして、自然と組織も上からの指示にきちんと従うような、ピラミッド型の組織になりやすくなります。
なので、家族もそうですよね。子供を育てるという目的のために、お父さん、お母さん、などの役割を表す言葉が与えられますからね。
(2)取引する(ヨコの関係)
そして、もう1つが、取引をすることです。
*再掲
取引とは、相手との合意の上で、自分のものと相手のものとを交換することですから、騙すことや、自分だけが得をしようとしても、うまく行きません。
なので、自分の目的を達成することも重要ですが、相手から信頼されることも重要であり、何をやっても許されるというわけではありません。
そのため、こちらは、お客さんや友人、ファン、フォロワーなどの、他人との関係をきちんと構築できることの方が重要視される傾向にあります。
ここでは、対等な関係なので、お父さんやお母さんといった役割的な名前は与えられず、互いに対等な個人として、契約したり、関係を持つことになります。
部長や課長が契約をしたとしても、契約主は、企業名という固有の名前になります。
このように、これらの2つの生き方は、それぞれ、全く異なるモラルを持つことになり、人間関係も前者は縦の関係が、後者は横の関係が重視されるようになります。
そして、人間が生きる上で、このタテとヨコの関係がある状態が、心理的に安定しているわけです。守る家族というタテの関係と、社会に貢献できているという充実した仕事という、ヨコの関係ですね。
この関係が強すぎると、不自由に感じますが、何もしがらみがないと自由な反面、孤独と無力感に陥りやすくなります。
3、「自由からの逃走」の内容について
ということで、ここから「自由からの逃走」です。
この話を簡単に箇条書きでまとめると、こういう話になります。
・人間は、中世の頃は農村と都市を中心とした、変化の少ない社会だったので、他国との接触もなく、人々は農民は農民、鍛冶屋は鍛冶屋といった、先祖代々の仕事を受け継いで生きてきた。なので、自由はなかったが安定はしていた
・ところが、造船などの技術が進歩し、交易が盛んになってくると、貧富の差が拡大していった。また、海外からのものが入ってくるようになったことで、それまで生業としてきた職業がなくなったりして、社会が不安定化してきた
・このように、格差が広がっていく中で、没落した人たちの気分を代弁したのが、ルターやカルバンなどのプロテスタンティズムだった。
・彼らは、予定説という「神はあらかじめ、救う人間と救わない人間を決めていて、それを人間は知ることができない。しょうがないから、必死になって神様に縋ろうぜ」ということを強調した。このプロテスタントの世界観は、頑張っても、海外からの輸入品のせいで没落した商人や中小の手工業者の思っていたことにバッチリハマって、特に、長子相続という不平等な相続が常識となっていた、イギリスや北欧を中心に普及した
・プロテスタントの教えは、要するに「誰が救われるかわからないんだから、貧しくても我慢して働いて、全てを神様に捧げるしかないんだよ」と言うこと。
この考え方が広く受け入れられたことで、産業革命が起こった時に、文句も言わずに黙々と働く工場労働者がたくさん確保できたので、工業化がさっさと進んだ
・ドイツは、もともと、プロテスタントという、「神は救ってくれるかわからんけど、とにかく信じろ」という理不尽な縦の関係を受け入れてきた。
その後、1840年ごろに産業革命が広がってきて、「つべこべ言わずに働け。そしたら、給料は払うから」という理不尽な工場主に従ってきた。
・さらに、1871年にドイツ帝国が成立して、「俺がドイツ皇帝だから、お前ら服従しろよ」という強い王様のもとで暮らすようになった。
つまり、縦の関係が強い中で、ずっと生きてきたのがドイツ人だった。
・ところが、20世紀になって、第1次世界大戦が起こって、ドイツは大負けして、ドイツ帝国も滅びた。
その後、1923年に1兆倍のハイパーインフレで、持っていた財産紙クズになり、1929年に大恐慌が起こり、仕事もないし、結婚もできない、寄りかかる権威もないという、何を信じればいいのかわからない、と絶望する若い人が増えた
・特に若い人たちは、失業によって、社会との関わり、つまり横の関係が断ち切られた。さらに、結婚もできず、権威となる国王もいない、つまり、父や夫、臣民としての役割も得られないという、縦の関係も失われて、無力感に陥った
・そこに出てきたのが、ヒトラー率いるナチスドイツ。
ドイツ帝国の復活を掲げ、「俺のいうことを聞け」「ユダヤ人は敵だ」「外国攻めるぞ」といった、ムチャクチャなことをやり始めた。
・しかし、もともと、プロテスタント信者として、「神が理不尽でも、いうことを聞け」という教えてに慣れてきたので、すんなりとヒトラーのいうことを聞いて、国民全員が破滅の道を歩んでしまった
といった感じですね。
日本とドイツの類似点
日本も戦前は、天皇万歳の軍国主義だったので、読んでいると、なんとなくわかるなあと思ってしまうところがあります。
エマニュエル・トッド教授によると、ドイツと日本は、長子相続で、親と同居という、親という縦の関係と、兄弟という横の関係が共通する文化圏なのだそうです。
また、浄土真宗と浄土宗は、他力本願という教えで、プロテスタントに似たところがあります。特に、浄土真宗は、阿弥陀仏に絶対的に依存する、という絶対他力の教えがあります。
これは、まさにプロテスタントの、予定説のような「頑張っても報われるとは限らない」
「だから、自分であれこれ考えるのはやめて、神様にすがるしかないんだ」という教えに似ているように思います。
日本で信者が最も多い宗派は、浄土真宗で、現在も1,500万人いると言われており、昔はもっと多かったでしょうから、ドイツ人のメンタリティと似ているのは、家族形態や宗教の共通点があるからなのかもしれませんね。
4、なぜ「静かな退職」が広がっているのか?
というわけで、ここまで「自由からの逃走」について、ざっと見てきました。
題名の「自由からの逃走」というのは、つまり、家族や国家といったタテの関係が断ち切られ、地縁という横の関係のしがらみもなくなって、自由になったはいいけれど、何をしていいのか?何をしたいのかもわからないから、自由を犠牲に「大企業、潰れない公務員、昔だったらナチス」のような、デカいピラミッド組織の中に逃げてしまう、という現代の日本というか、世界中の若い人たちの気分を反映しているように見えます。
しかし、そうやってデカい組織に所属したとしても、「静かな退職」が広がっている理由は何故でしょうか?
動画や記事を見てみると、
・プライベートを充実させたいから
・出世してもいいことがないから
・努力しても報われないから
・管理職を見ていると、出世したいと思えないから
などなど、いろいろと語られていますが、もっと大きな視点で見た場合に、2つの理由があると思っています。
(1)日本の仕事の大半がクソだから
1つ目が、社会にある大半の仕事が、ブルシットジョブか、シットジョブだということです。
ブルシットジョブとは、「クソどうでもいい仕事」と訳されますが、要するに、穴を掘って埋めるような仕事です。誰の役にも立たないし、働いている人も意味がわからないと思うし、自尊心を傷つけられるような仕事のことですね。
オレ、何やってんだろ?オレ、いらなくね?という虚無感に襲われる仕事です。
人類学者のデビット・グレーバーが作った言葉で、グレーバーは、Twitterで自分の仕事がブルシットジョブだと思うか?とアンケートを募ったところ、ざっくり世の中の半分ぐらいが、ブルシットジョブだと考察しました。
経済学者のケインズは、1930年にエッセイで、100年後には1日3時間労働で、十分な生活ができるようになるだろうと述べましたが、それが実現できていないのは、世の中の半分ぐらいがどうでもいい仕事で溢れているためだと思います。
一方で、シットジョブとは、条件が悪いひでえ仕事のことです。
介護とか、保育士さんとか、運送業や建設業の人とか、あんだけ働いても、給料はこれっぽっちとか、そういう仕事のことです。
特に、ここ数年は、インフレで物価が上がっていますから、給料が上がらない会社では、条件のひどいシットジョブと見做される仕事が増えていると思います。
なので、ブルシットジョブの仕事についている人であれば、意味のない仕事をやらされて、やる気は無くなるでしょうし、シットジョブについている人であれば、条件がひどい仕事なために、出世する気が失せます。
静かな退職が増えているというのは、こういった背景もあるからではないでしょうか。
(2)生き方の二極化が進んでいる
そして2つ目は、インフルエンサーとしての個人と、企業の中のサラリーマンの生き方の違いが、ハッキリとしてきた、と言うことです。
2014年にYouTubeは、「好きなことで、生きていく」というキャッチフレーズで、キャンペーンを始めました。
はじめしゃちょーやヒカキンなど、今も最前線で頑張っている人もいますが、あれから10年で、ずいぶんその当時第一線だった人たちにも、いろいろありました。
やはり浮き沈みの激しい業界なので、ユーチューバーで食っていくのは一部の人だけで、チャレンジする人は、相当な覚悟が必要だと思っている人がほとんどでしょう。
私もその通りだと思います。
しかし、そうやって第一線でやっている人たちは、どんな人たちでしょうか?
例えば、ヒカキンは、同世代のユーチューバーが、不祥事を起こすたびに、そういうのに影響を受けずに、マイペースにコツコツ動画をあげ続けている姿に、動画の内容以外の部分で評価を受けていたりしています。
つまり、成功し続けるために、すげえ頑張っているということです。
ヒカルもすごいですよね。最近500万人を突破したようですが、地元の米をJAよりも高い60kgを25,000円で買い取って、5kgを約4,000円で売るそうです。
うちの実家でも米を作っているのですが、ちょっと前に親に電話をした時に、コメの値段はそれほど上がってなくて、倉庫代とか、わけのわからないもので取られるようになったと怒ってました。
JAは農林中金が1.9兆円の赤字を出して、そのシワ寄せがJAと、農家に来てるんじゃないかとか言ってましたけど、こんなことをしてたら、ますます農家をやる人が減っていきます。
今の農水省とか、農協に期待をしている人は皆無だと思いますが、そこに風穴を開けようとしているのは、企業ではなく、ヒカルのようなユーチューバーというのが実態です。
こう見ていると、面白さはもちろんですが、ファンの心を掴み続けるための、真面目さ、誠実さ、本音で語る、という姿が見えてきます。
企業や政府のモラルがどんどん劣化してる
その一方で、企業で働くサラリーマンはどうでしょうか?
フジテレビの女子アナの性接待や、農林中金の巨額赤字、ビッグモーターと損保ジャパンの犯罪まがいの販売実態などなど、やべえ会社はいっぱいあるし、反省もしませんし、社会にとって、何の存在価値もありません
例えば、ESGランキングというランキングがあります。
環境にも、社会にも、従業員にも優しい会社、ということで、ポイントをつけて毎年ランキングが発表されています。要するに、社会にとって存在価値があるのか?ということをランキング化したものです。
いろいろな会社が、ランキングを作っているのですが、2021年の東洋経済の記事で見ると、1位はなんとSOMPOホールディングスでした。ビッグモーターと一緒にやらかしてた会社の親会社が、1位なんですよ?
何を見て、こんなランキングになったのか?頭がイカれているとしか思えません。
こういう嘘だらけの世界が、日本の企業周りのイメージなのです。
また、就職四季報を見ると、地銀の入社3年後の離職率は、3割から、ひどいところになると5割に達しているところすらあります。
地銀といえば、地方大学出身者であれば、なかなかのステータスになるはずの就職先です。それが3年で3割は辞めるところがごまんとあるのです。
おそらく、年寄りを騙くらかして、投信や保険を売らされるだけのくだらない仕事ばかりなんで、アホらしくて辞めてしまうのでしょう。
これまでは、安定した職場で働くといえば、企業で働くか、公務員になるか、というイメージが大方でした。
だから、そこの会社や組織がいかに反社じみたところであったとしても、とにかく奴隷のようにし働くしかないと思っていた人が大半だったと思います。社畜という言葉が広がったのは、バブルが崩壊した1990年代の後半からで、今でも普通に使われていますよね。
ですが、今の若い人は、そこまで安定にこだわっているのでしょうか?
だって、実家があるんですよ?
恋愛のハードルも上がってるし、結婚とか、車とか、高収入とか、そう言うものを求めなければ、自分の良心を捨ててまで、安定を求める必要って、ぶっちゃけないですよね?
人間性を磨いてきたインフルエンサーたち
さらに、そこにインフルエンサーという人たちが生まれて、10年以上が経ちました。
最初はいかがわしいイメージだった人たちも、スキャンダルや人気低下で淘汰されていき、古参として残っている人たちは、今の日本企業の経営者の誰よりも、なりたい人間像を表しているのではないかと思います。
それは、本音でしゃべる、ファンの気持ちに応える、面白いと思うことをシェアする、みんなを楽しませる、より良くなるように考え、工夫する、というような、まさに人間の自由を表現している存在として、映っているように思うのです。
2つの安定
エーリッヒ・フロムは、「自由からの逃走」の中で、2つの安定について語っています。
①ピラミッドの安定
1つ目は、縦の関係、つまりピラミッド組織の中での安定です。これは、親子関係や国、企業などの、自分よりもデカい存在に守られた安定です。
そこでは、上からの言うことをきちんと聞くことが求められますから、自分の意思は抑え込まれて、考える力も失い、無力感に襲われます。特に学校や企業ではそうですよね。
しかも、最近は、そうやって真面目に従って、結婚もできて、家族が持てたとしても、40代でリストラされる事例まで増えてきており、若い人にとっては、救いようがありません。
②ネットワークの安定
そして、もう1つが横の関係、つまりネットワークの中での安定です。
これは、自分から積極的に関係を持とうとすることで、いろいろな人や企業、組織と繋がることで、生まれる安定です。
ユーチューバーやTikTokerのような、インフルエンサーと言われている人たちは、積極的に投稿を行うことで、ユーザーに興味を持ってもらい、フォロワーを増やすことで、このネットワークをより強固にしています。
これを職業として考えると、専業で食っていける人は確かに少ないでしょうし、競争は激しいので、ハードルは高いでしょう。
しかし、ネットワークの安定を求めるのは、何も経済的な安定だけではありません。
SNSが普及したことで、世界的に若い人たちのメンタルは悪化しています。
画像の加工もできるようになって、自分よりも綺麗な女性の動画や画像がたくさん出回ってますし、お金持ちが見せびらかす姿だって、簡単に見れるようになってますからね。
さらに、炎上も起こるとなれば、精神的に疲れてしまうのは当然です。
なので、特に若い人たちにとっての、安定という言葉は、経済的だけでなく、おそらく精神的な安定の割合が高まっていると思います。
しかし、その精神的な安定というのは、誰かに与えてもらうものではありません。
自分の中にある、本音で語りたい、自分に嘘をつきたくない、自分の感情を大事にしたい、同じような価値観の人たちと繋がりたい、おしゃべりしたい、ワチャワチャしたい、といった衝動を通じて、得られる関係性が、精神的な安定なのです。
さらに、今はSNSが普及して、自分の名前も姿も晒さずに、周りの人たちが普通に、このネットワークを通じた、精神的な安定を手に入れることができています。
なので、できない理由もないし、誰かと繋がっていると言う感覚が、孤独を癒すので、心の安定にも繋がるし、うまくいけば収益化もできて、小遣い稼ぎもできるかも、と言う希望を持ちながら続けることもできます。
そう考えると、「静かな退職」と言うのは、単に不貞腐れて、企業をボイコットしていると言うことではなくて、このネットワークの安定を手に入れるための、時間を確保しようということなのではないでしょうか?
フロムのこの自由からの逃走は、今から80年以上前の書籍なので、このネットワーク化を目指す個人については、「本来はこうあるべきだけど、それができないから、みんな自由から逃げて、デカいピラミッド、最悪の場合にはナチズムに避難してしまったんだ」ぐらいのトーンで書いています。
ですが、今はSNSが普及して、経済的な安定を手に入れているインフルエンサーや、SNS投稿で人生にハリを作っているような、お手本となる人たちを、実際に目にすることができています。
なので、おそらく、この流れは止まらないでしょう。
日本はこれまで、底辺労働者を必要としてきましたが、自分の自由を表現していくことで、ネットワーク化していく個人はさらに増えていきます。
そのため、自分を犠牲にして、組織のために尽くすという生き方のダサさと、いかがわしさと、場合によっては犯罪性が、さらに明らかになっていくはずです。
その先には、今あるピラミッド構造の崩壊が、至る所で起こるのではないかと思います。
医療も介護も、建設も、運輸も、教育も、下にいる人たちを犠牲にしてきた、日本のピラミッド型のシステムは、インフルエンサーという、人間らしさを100%発揮して輝いている人たちの眩しさに、やられてしまうのではないでしょうか?
5、この支配からの卒業
尾崎豊は、「卒業」という歌の中で、「この支配からの卒業」とか、「あと何度 自分自身を卒業すれば、本当に自分にたどり着けるだろう」と歌いましたが、これは学校や会社というピラミッドから抜け出して、ネットワークの中で、自分らしく生きていきたい、と歌ったものだと思います。
YouTubeで検索すると、本人のライブ映像が何本も出てきますが、その多くが、何十万回、何百万回と再生されて、多くのコメントが寄せられています。
おそらく、多くの人が、本音では、自分らしさを出して、前向きな気持ちで、生きていきたいと思っているのでしょう。
これは、物質的には十分に豊かになった多くの日本人が持つ、次の段階へ進みたいという欲求とか衝動だと思います。
なので、誰にも止められないし、ようやくこの欲求とか衝動を満たす条件が、整ってきたのだと、私は思っています。
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